人生と読書

あわれなり
私の人生よ
どこへ行く
などと言ってしまいたい

自分の人生でなければこんなに細かいところまでは分からない
自分の人生だからどうしようもなくて途方にくれる

細かく知っているからうつになる
自分の人生だから距離をおけない

おかしなものだ

自分ではどうしようもない
そういう面があるのだとうすうす知っている

困った挙句
逃避したくて
柄でもなく小説などを読んでみて
最近の結論は
何が描かれているかを知るなら映画でもいいし
そもそもいまさら新しい「何が」を期待しても得られない
「どのように書かれているか」
「語り口はどうか」そんな部分が興味の中心らしい
同じせりふでも若い女性に言わせてみたいとか
そんな辺りも興味になるようだ

だとすれば
そんなものは限りなく退屈である
私にとっては
だって私は人生について途方にくれているのだ
そんな人間が慰めも得られず
解決の糸口も得られないとしたら
文章は一体何のためにあるのだろう