大江健三郎「話して考える」と「書いて考える」7

○子供だった時期の、一年一年、私はあのような難しさ、危険さにみちていた日々を、どうやって生きのびねことができたのだろう、と思うことがあります。

●そうだねえ。確かに。
子供の頃、世界は非道いものだったなあ。狭くて、愚かで、圧迫ばかりあったように思うな。東京みたいなところでほっとできたような気がするのも本当だ。子供の頃、少年から青年に書けての頃、私は何を思っていたか。そして改めて問いかける、今後私にできることは何か。
人生を享受するだけの態度で生きることは、私にとっては、手応えのない人生に属すると感じている。
何かを外側に実現する。それが大切なのではないか。真珠貝が真珠を残すように。
●生きのびるために採用した作戦はいいものだったかどうか。そのことについては未だ結論は出ないと思う。
●いまから思えば、ただ生きのびるだけで精一杯だった、それは確かに実感である。またそれで充分だと思う。ただもう盲目的に。「生きること」を欲している人間は、強いものだと感じるのだ。迷いがない。
●困難を切り抜けてきたという能動的な感覚ではない、わけの分からないうちにここまで運ばれてきて、改めて思い返してみれば、幸運なことに生き延びてこられた、そんな風にも思う。
●それは孤独な戦いだっただろうかと思い返してみれば、どの時点でも、孤独ではなかった。いつも理解者がいた、そう感じている。人間の脳は、孤立してしまうとうまく働かないのだろう。ネットにつながっていないコンピュータのようなイメージだろうか。孤立する時、生きる意味も失うように思う。意味というものは集団の中で生じるし、言葉というものが集団の中で生じる何かなのだと思う。
●逆に、そんなものに絡め取られていることは愚かなことだとも思うのだ。言葉を超えて、喜悦の瞬間を求めたり、解脱の感覚を求めたりするのも悪いことではないのだ。それが、現代ではますます、言葉に絡め取られている傾向にあると思う。

●いまだって、子供時代と少しも変わっていないじゃないか。未来は得体の知れないものだ。時間が経って自分がどうなっていくのか全然イメージできないのだ。
●世間でほめられることなんか結局うさん臭いと思ってしまう。小学校の学級で進行していたあらゆるままごとじみた世界と本質的に変わらないと思う。本格的に没頭したとしても、本当はくだらないことなんだな。ただみんなが没頭していることなので、とりあえず自分もそうしなくてはと思うだけなんだと思う。そしてそんな裂け目を強く言う言葉には乏しいわけだし、裂け目を強調してもこの「健康な」共同体の中では受け入れられないものなのだろう。
●裂け目を叫ぶことは許されない。裂け目は、ひっそりと胸に抱いて、人は、ひっそりと退場するしかない。