大江健三郎「話して考える」と「書いて考える」9

○敗戦後の一時期。あの時期ならば、自分の運命がどんなにねじ曲げられても不思議じゃなかった・よく生きのびたものだ、という思いにあらためてとらえられるのです。いや、あの時期、自分は確かに決定的な変動を体験したのであって、いまここにいる自分は、全く変わってしまった後の自分だ、という気がします。この時期については、うまく表現することができないできた。

●敗戦後の一時期については、まさにそうだっただろうと思う。石川淳を思い出した。

●「よく生きのびたものだ」の感慨について。そういえばそうだ、そうなのだ。ただ生きのびただけで、それはかなり立派なものなのだ。自分の割り当てられたDNAがどんなふうにこの世界で形質を発現していくのか、それを見届けるだけでいい。もう苦しまなくていいのだ。そう思う。

○身体と精神と感情に起こった決定的な変化。その転換期をどう乗り越えたかの物語。

○わたしは理科少年から文学に関心を持つ少年に変わった。

○私らが子供の時、時間がいかにノロノロ進むようであったか。

●転換期をどう乗り越えたか。理科少年から文学少年に。そこに段差があったのか。

●理科少年が本当に文学に関心を寄せたら、たとえば安部公房のように、独自の世界を築くことができるはずなのだ。私なら、多分、独自の世界観の提示を試みるだろう。