安岡章太郎「雨」

わたし一人がうっかりしている間に

まわりはどんどん成長していた

いまでは私は子供のままでいるのに

まわりは人生の技に熟練した大人のようだ

私は田舎の道で夕暮れに途方に暮れている自分の姿を見ることができるように思う

そのころから何も変わっていない

私は取り残されてそのままでたたずんでいる

いや私はうっかりしていたのではない

私は拒否したのだ

私はあのときただ人の好意を受け入れればよかった

ただそれだけで一般の人生のレールを歩くことができたはずだった

しかし私はそれを拒んだ

子供らしく甘えた夢を見ていたのだろう、多分

それからあとは

長い間、巨人の試合を見ていたことくらいしか人生の内容がない

多分、原クンが新人で、

そのあとは桑田が新人で、

しかしそのあとのことははっきり記憶にないようだ。

一体何をしていたのだろう、

わたしは無駄に歳を取ってしまった

まったく夢のようだとはよく言ったものだ

安岡章太郎「雨」という短編がある。

「そして、もう自分がすっかりダメな人間になってしまったと思った。自分は単に強盗になれないばかりではなく、ほかのどんなものにもなれないだろう。今後仮にどんなウマいチャンスが来て、どんなにらくらくと成功できる道が目の前に開けることがあっても、きっとたいした理由もなしにクズグズして、そのチャンスをものにできないだろう。……とうとう上映時間の終了まで、バネのぬけた湿っぽい椅子の上に座ったまま、動くことができずにしまった。」

これは先日の映画「グッド・ウィル・ハンティング」とぴったりと重なるようだ。

何か心に麻酔がかかってしまったかのようなのだ。

麻酔から覚める瞬間を夢想してもいいのだろうか。

私の人生の中で何度か麻酔から覚めた瞬間はあったような気がする。

いやそうだろうか。

むしろその瞬間こそが、私が夢の中に入りこんでしまった瞬間なのではないか。

いつかこの悪い夢が消えるだろうか。

「ぐずぐずしてチャンスを逃がす」

「湿っぽい椅子の上に座ったまま動くことができない」

そうだ、私の日常に言葉を与えるとすればまさにこれなのだ。