四方田犬彦「ソウルの風景」2

「さまざまな視点を提示することが作家のモラルである」

「視線のひとつひとつに最大限の正当性を与えてやること」

「恨とは自分の席、自分の位置が喪われてしまったときに感じる痛みのことである。恨を自分の外側で解こうとすると、怨恨に終わることがあるが、これを自己の内側で解消すると内部の充実した創造的エネルギーに転じることができる。相手を許すことが大切なのは、それが内部で恨を解くことに通じているからである。真の許しとは、内側で恨が解けることと同じでなければならない。樹木は落葉の痛みを甘受してこそ、新しい生命を手にできるのではないか。」

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自分の立場の他に、複数の視点を持つこと。

それは自分の苦難に際してであれば、大変つらいことであるが、

しかし、苦しみを乗り越えてゆくためには、本質的に重要である。

他人には他人の正当性があり正義があるのだ。

その深い意味を知る必要がある。

その地点に初めて、許しが生まれる。

そうした許しの末に初めて、しこりが解ける。

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自分の席が失われてしまうこと。

それは生物としての危機である。

だから一層つらい。

根元的な危機に際しては、

脳の回路としても、古い、根元的な危機回路で対応するだろう。

それは身体を巻き込むタイプの不安反応である。

それを何とか落ち着いた状態に戻すために生体は必死の反応をする。

早くなんとかしてくださいとの信号を送り続ける。

その点では、不安に耐えることが必要なのではなく、

不安を感じたら、現実的に対処することが大切だ。

この場合であれば、

再び自分の場所を見つけ出せるように対処する、

そのことが必要である。

自分の場所を回復する、

大切なことだ。

不安を忘れるために酒を飲んでも、

何も解決しない。

ただ時間が経てばなれてくるものだから、

現実をどうしても変えられない時には、

時間を待つ戦略も悪くない。

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「さまざまな視点を提示すること」そして

「視線のひとつひとつに最大限の正当性を与えてやること」

それはまさにコラージュの技法である。

コラージュの精神である。

主語を変換すること。

時制を変換すること。

思考実験として、複数の立場からの言い分、感じ方を登場させること。

必死に、相手の立場になってみること。