山本周五郎「虚空遍歴」3

何とも救いのない話である。

すべては最悪の結末に向けて流れ込んでゆくのだ。

これが人生だとすれば、

どうして生きなければならないのだろうか。

光はどこにあるのか。

主人公にとっても、周囲の人にとっても。

不思議なことに、

ビルの高層階から地上を見下ろす構図が

頭に思い浮かぶ。

地上では、主人公が報われない必死の努力を重ねている。

ビルの上から私はそれを眺めて、

読書の楽しみはこれかなどと思っている。

主人公は苦しいが、そのことを認識することは、楽しみの一種である。

そして色即是空とか空即是色とか考えてみる。

地上では、主人公が仕事でも人生でも行き止まりの現実に、苦しんでいる。

ビルの上から私はそれを眺めて、

しかしそれでも、主人公は、大切な何人かの人間に支えられて生きた、

そのことが人生の実質なのだと思っている。

それは生きるに値すると思っている。

私自身も、地上で生きる人間としては、

人並みに苦しみの中に閉じこめられている。

紀野一義の書くところはこうである。

般若心経の「空即是色」の風光は、自己を否定し尽くした究極に、突如ひるがえって、仏のいのちの中に生かされているという実在感・肯定感を持って生きる人生を指している。

仏のいのちの中に生かされている、空即是色、これが、

高層階から地上を見る視点であると思う。