勉強

電車の中や図書館で、資格試験のお勉強をしている人を見かけます。
どんなことを勉強しているか、
わたしは大雑把に想像するだけですが、
思うに、人の世の中の都合で、
さしたる理由もなく、偶然に決まっていることを、
つまり、必然性のない制度を、脳に詰める作業は、
本質的に無駄なことだと思います。

数年前から、司法書士が簡易裁判所で、
弁護士さんの代わりに活躍できるようになったとかで、
その人は、司法書士の勉強をしています。

それは仕事のために必要ですし、
その仕事は人のためになるのですから、
とてもいいことなのですが、
世の中の仕組みとか法律とか、
結局、偶然そうなっているというだけのことが多いのではないでしょうか。

基本的で普遍的な原則ならば、
長い時間をかけて勉強しなくても、理解は出来るでしょう。
実務に役立つような知識を一応蓄えるというだけで、
かなりの時間を費やすそうです。

でも、それって、本質的なお勉強なのかなと疑ってしまいます。
本質的でなくても、面白くて仕方がないというのなら、別に問題はありません。
また、その人の場合は、面白いとかどうとかではなく、
実務に必要だから、勉強するわけで、
それもいいことです。

でも、せっかくこの世に生まれて、
脳というものを与えられて、
その脳で何をしたいかといったら、
その脳に、2007年版の日本の土地建物の法律を
詰め込む必要は全くないと思うのです。

もっと大事でもっと面白いことがあるじゃないかと思います。

まあ、そう言ってしまっては、あまりというものですね。
そのような実務的な勉強と、
そうでない種類のお勉強と、両方できるじゃないかと、言えばよさそうですね。