いい国 日本

2005年三浦展『下流社会』に書かれていたこと。

上流の人ほど「上昇志向で」ある。

下流の人ほど「自分らしい人生という呪文」にかかっている。

「将来のことを考えるよりも現在を楽しみたい」

「現状志向」

「あくせく勉強して、よい学校やよい会社に入っても、将来の生活に大した違いはない」

「成功物語否定的」

下流であるという現実が、このような考えを定着させ、

このような考えが、ますます下流の現実を固定させる。

付き合う相手も下流に限定され、別の考え方には気がつかなくなる。

著者は、こうした傾向を、

社会の長期的な活力を奪う大きな問題、

現状の日本社会を憂慮するといった方向でとらえているようだ。

一方で、次のような指摘もある。

日本ではフリーターをしていても年収は200万近くにはなる。

日本はいい国になった。

毎日朝から晩まで会社に勤めて高額の収入を得るのもいい。

とくに訓練の必要のない単純労務をして余暇を十分に楽しむのもいい。

それぞれの人生を選択できる。

年収300万の暮しというのが合い言葉になっているが、これだけあれば、確実に暮らせるだろう。

高円寺で手取り14万円で、不自由なく暮らしているといっていた。

100円ショップとディスカウントショップでほとんどの日用品が手に入る。

スーパーの安売りの日にまとめて買う。

仕事漬けの人にはできないことだが、この人たちには、買い物に行く時間がある。

高い年収のほとんどは、無意味かもしれない。

大きな部分は住居費であるが、ワンルームでいいと考えれば、まず大きな節約になる。

長期的には人口が減少して、不動産は安くなるから、資産としては目減りするだけだ。

ローンは組まない。賃貸でいいに決まっている。

食費はどうだろう。工夫すれば安く済む。

酒やタバコは税金がかかって高いだけなので、やめる。

ブランド物がほしければお金が必要だけれど、そこは頭を冷やす。

普通の時計でいいなら、正確で安いものがいくらでもある。

バッグも、ものを入れて運ぶだけなら、1000円で用意できる。

着るものも、同じ。

結婚は、無意味な出費の巣窟だ。ばかばかしいのでやめる。

必要なら勝手に一緒に住めばいい。

現状では、何の特権のない人でも、

電車に乗れる、水道はきちんと出ている、電気も供給されている、

水洗トイレもある、テレビも映る、自転車にも乗れる、日本語が通じる、

こんないい国はない。

切り口が違えば論調も違うものです。