他人を必要としない価値メカニズム

真に独立した人間であるためには、他人を必要としない価値メカニズムを作ることが必要である。

この言葉は、作家アイン・ランドのものです。

アイン・ランドはリバタリアンの生活信条を描いたとされていますが、

自由と独立を引き受けるためには、

覚悟が必要であることも説明しているようです。

他人を必要としない価値メカニズムとはどんなことでしょうか。

精神医学では、自己愛の説明をするときに、自己愛備給という概念を用います。

Narcissistic Supply のことですが、つまり、

自分はすばらしいと肯定するための材料を補給してくれるものは何かということです。

誉めてくれる人です。

その補給基地が他人にあるとすれば、

その人は、その他人に依存してしまうことになります。

支配されることもあるでしょう。

その人が誉めてくれなければ、自分は自信を失い、うつになってしまうからです。

そうではなくて、自分で自分を誉めて、自分を肯定することができるようになければいいわけです。

それが、他人を必要としない価値メカニズムを作るということであり、

自己愛備給を他人に依存せず、自己の内部に置くということです。

理由もなくうぬぼれているのは病気ですが、

客観的に判断して、自分を公正に誉めることができれば、

そしてそのことで自分を励ますことができるなら、

とてもいいことなのです。

一番細かい事情まで知っているのは自分なのですから。

リバタリアンの主張全般にわたって、

このように精神医学的に分析して、公正に評価することができれば、

意味のある仕事になるでしょう。

他人を必要としないということと、他人を無価値だと信じるということとは、全く別のことです。

少なくとも、他人は、自分と同程度に、価値があると信じるのは、理由のあることです。

価値メカニズムの点で他人を必要としないとはどういうことか、

具体的に、また、分析的に提示するにはまださらに時間がかかりそうです。

また、アイン・ランドは作品の中で書きます。

「他人のために生きようと試みる人間は、依存者です。そのような人間は、動機において寄生虫です。・・・こうした人間関係は相互腐敗以外の何者も生み出しません。・・・現実には、このような人間にもっとも近いのは、つまり他人に奉仕するために生きる人間に一番似ているのは、奴隷です。」

キリスト教的隣人愛は、他人のために生きようと試みることですが、それは、アイン・ランドによれば、依存者、ニーチェによれば、足なえとなるわけです。

このあたりはデリケートです。

事業で利益を上げて、それを慈善事業に寄付する人は、隣人愛の実践者ですが、

他人を必要としているわけでもありませんし、他人に依存しているわけでもありません。

他人の存在が抜けているなら自己満足だと批判されそうですが、

もう一段高次元の感情だと思われます。