なぜ感覚は慣れてしまうのでしょう

なぜ感覚は慣れてしまうのでしょう。

あんなに欲しかったコンピュータを買っても、車を買っても、
ピアノを買っても、ベースを買っても、犬を飼っても、おしゃれな急行の停まる街にすんでも、
みんな慣れてしまうのです。
ドキドキしなくなってしまいます。

はじめてテニスでスピンがきれいにかかって、相手が驚いたときの得意さ。
はじめてモーツァルトを最後までひけたとき。
英語で仕事ができたとき。
あの人に色の感覚がいいねって誉められたとき。
初めて鎌倉でデートしたとき。
あの人と初めてデートしたとき、別の人が別の人とデートしていたのを見たとき。
その人はずっと空を見ていた。
新宿の地下道で、古い恋人と歩いていて、新しい恋人とすれちがったとき。
広い東京で、よりによってあんなところで。

みんな慣れてしまう。
なぜなんだろう。

どきどきするには新しいことをするか、
もっと激しいことをしてみるか、
今までやってきた二つをくっつけてみるか、
いずれにしても暇しのぎをしなくてはならないのだ。

同じことをしていても最初の時のようにどきどきしていたのでは、
確かに不都合でしょうけれど。

この喜びにも慣れてしまうのかといういうな
あらかじめの失望はなかったけれど、
ただ単純に喜ぶ若者ではなかったのだ。

あのデートの日、
もうすぐCDはなくなってDVDになるのかななんて言いながら。
リヒターの特別カッティングのマタイのCDを見つけたのは鎌倉のCD屋さんでした。

神経細胞の話でいえば、
同じ刺激が入力されたとき、
直前の刺激をゼロとして数えるので、
その差に反応していることになる。
ΔR/Rという原理。
歳をとってRが蓄積増大して行けば、
ΔR/Rは無限にゼロに近づいてしまう。