テレビゲームの影響と対策

こんな記事。

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暴力的なビデオゲームをプレーしたときの社会的影響としてこれまでに知られていることが確認された。暴力的なビデオゲームで遊んでいた学生ほど敵対心が激しく、人を許しにくく、暴力を普通のことだとみなす傾向がより強かった。

 一方で「向社会的」ゲームで遊んでいた学生は、学校でけんかをしにくく、他の学生により協力的だった。

 さらに、フォーダム大学の別の研究では中学生程度の年齢層で、新しいビデオゲームを覚えることがもたらす問題解決能力への影響が調査され、認知・知覚能力が向上することが発見された。

 学会に参加した研究者らは「ビデオゲームの中には、手先の器用さや問題解決能力を高めたりと、プレーヤーのためになる効果をもたしうるものもある。これから言えることはゲーム自体に善し悪しはなく、ただ強力な影響を与えるツールではあるということ。それ故にわれわれが予想できないような多くの効果をもたらしうる。

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最近の話では、
暴力的なゲームは、確かに、常識で考えても、学問的な統計から言っても、やはり人を暴力的にするらしい。
暴力がそこで発散されて、現実に暴力を振るわないということはないようだ。

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ゲームの特徴として考えられているのは、
ゲームにのめりこんでいると
人間とのふれあい、自然とのふれあいがなくなって、
不自然になったり、凶暴になったりするのではないかということ。
しかしこれはもともとそのような人がゲームに親和性があるのではないかとの話になり、
循環論になる。
世間の感情として、
お人形遊びをしていたりする子供の方が安心できるのは分かる。

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ゲームと人間との関係の特徴は、
人間と人間、人間と動物のように、相互的な関係ではないことだと一応考えられる。

ゲーム画面の中の出来事に
人間が驚いて泣いたとしても
ゲームの中の人間が慰めてくれるわけではない
ゲームの中の人物が泣いているなら慰めるということもあるだろうが

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しかし考えてみれば
人間は操作ボードを通じてコンピュータに信号を送り
コンピュータは画面と音を通じて信号を送り返しているわけで
その点では
循環的なフィードバックが成立している

お互いに反応しあうループが形成されているのであって、
人間対人間とそれほど変わらないとも考えられる。
プログラムは人間が組んでいるわけで、
結局、ゲームをする人は、プログラムを組んだ人間と対話しているのだとも考えられる。

そこまで考えれば、やはりゲームも、高次元ではあるが、
人間と人間との交流であることになる。

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母と子がいて交流している時に
人間の脳にあるミラーニューロンとか
メンタリゼーション回路とか
そのあたりが働いて、
「他者の心の状態」についての概念の発達が促されると考えられている。
ゲームで欠落しているのはそれだろうといわれる。
ゲームの中のキャラクターは「いまこんな気持ちに違いない」ということを
状況や相手の表情から読み取るプロセスがない。
また自分の感情や心の中を読み取ってもらうプロセスがない。

そこで提案されているのは、
ゲームの画面を母と子が二人で見たらどうかというものだ。
母と子は心の中をモニタリングしあう。
母が悲しい場面で泣いたり、腹が立つ場面で怒ったりすれば、
こんなときにはこんな顔をするのかとかこんな声を出すのかと学ぶことになる。
また自分の心の中を母が推定してくれて慰めてくれたり励ましてくれたりする。

そのようにすれば、
ある程度、ゲームというものの欠陥を補えるのではないかという提案である。