散る桜の下で息子の写真を撮る父

子供は子供ながらに、
「写真を撮られる」ことの意味を理解しているようだ。
写真用のポーズを取る子供もいる。
しかし何をどのように理解しているというのだろう。

鏡に映る自分を「自分」と理解するまでに時間がかかる。
鏡像段階という。

鏡の中の自分は自分だと気がつけば、
自分の場所も世界の中で決まり、
世界観は安定する。

それまでは、目をつむれば世界が消えていたはずだ。
しかしやがて目をつむったって世界は存在していると理解するようになる。
そして自分も、よそのこと同じような感じで世界の中で存在しているのだと
理解するようになる。
その延長で、写真に写る世界と自分を理解するようになる。

んー、今ひとつ言葉が届かない。