「楽しい思い出」は心に忍び込もうとするトロイの木馬

同じ本で、
「楽しい思い出」は心に忍び込もうとするトロイの木
というのである。
「楽しい思い出は忘れなさい」ということらしい。

記憶を自意識の側で操作できると思っているのだろうか?
そんなはずはないだろう。
忘れられるものならば忘れるはずだ。
そして忘れた方が生存に都合がいいなら、忘れたままでいるはずだ。
老年期になって記憶が失われるようになると楽しい思い出も忘れるようになるだろう。

一方、トロイの木馬であるが、
検索するとコンピュータウイルス関係のものが大量にひっかかる。
そんな時代なんですね。
ギリシャ神話の内容を理解して、この比喩を理解するという手続きはとても面倒だ。
しかし、本を読ませようとする仕掛けとしてはいいかもしれない。
現代人は「無知である」ことを恐怖しているからである。
その恐怖につけ込んで本を売り上げようとするのだ。

最初はおとなしくていいもののように見えて、あとでとんでもない悪さをするもの、とりあえずの「トロイの木馬」の意味としてはそんなところだろうか。

それはそうでしょうね。楽しい思い出をいつまでも引きずっていては、現在がつらくなると言いたいのでしょう。
しかし、現在も幸せならば、楽しい思い出も一向に苦になりません。
現在が不幸ならば、楽しい思い出はつらいのです。

結局、現在を幸福の方向に導かなければなりません。
しかし、老齢や病気、別離などどうしようもないことが世の中には多いものです。
困りました。

楽しい思い出は、心の中で一層理想化され、純化されて行きます。ますます現実から遊離します。現在が不幸であればあるほど。

つまり、現在を幸福にするしかないのですが、仕方なく不幸な人はどうしても存在して、その場合に、昔の楽しい思い出もかえった毒にもなり、その場合の解決は現在を幸福にするしかなくて、と、循環してしまいます。

したがってこの言述は、一種の自己言及型循環型になっているのではないかと推定されます。
は??

逆に、
「苦しい思い出が人生の導きの師となる」とも言えるでしょう。
ない方がいいですけれど。

楽しい思い出もない、苦しい思いでもないというなら、
人生は何でしょう。