ドラマ「ハゲタカ」(2)

資本の論理で言うと、巨大資本の勝利は明白で、
弱小資本がどのように工夫して対抗していくかと言っても、
なかなか方法はないようだ。
巨大資本は当然、グローバリゼーションを求める。

歯止めは、「国家統制」くらいしかないが、
国家もやがて資本に取り込まれる。
時間の問題である。

しかしまた、巨大資本の側も、巨大化すればするほど、
会社員が運営決定することになってしまう。

ソフトバンクの孫子のようになるにはなかなか大変だ。
堀江氏とその側近たちの挫折をニュースショーでさんざん見せられたばかりである。
この国はまだまだあまちゃんで、アメリカで数年前に起こったことを後追いしているわけだ。
後追いしていると思っていたら、少子高齢化が、アメリカやイギリス以上に進んで、なかなか先輩の通りにはできないのだった。

リスクを背負ってビッグ・リターンを狙うとして、
そんな人生よりも、
たとえば研究職として、才能を開花させたいと思う、そういう人も多いだろう。

人の攻撃性にはかなりの差がある。
また、文化の程度が高次になれば、攻撃性を礼儀で包むようになる。
しかし、実際、むき出しの人間の攻撃性は甚だしいものがある。
そんな中で生き抜こうと志を立てる人もいるが、
早々に撤退を決めて、美の鑑賞や真実の探求に身を投じる人もいる。

むき出しになった攻撃性は
どれだけ人を絶望させるだろう
負かしてやってもいいが
空しいだけだと思うほどだ

しかし、そんな感想を「あまちゃん」だというのである。
「どんな生き方」の話ではなくて、ただ「生存する」だけのレベルを言っている。
「生存」するために、人間は攻撃性をぶつけ合い、
欺き合い、罵倒し合うのである。
「隠居」できるなら結構、いいご身分だということだ。
そんなことさえできなくなっているのが、グローバリゼーションの現代である。

でもなあ、難しいものだ。
ハゲタカがいるからといって、
自分もハゲタカになるとも決まっていないだろう

確かに人の悪意や攻撃性にさらされる時はたまらない
「骨身にしみた」とも感じるものである
しかしその先を考えるのもまた高等な人間の知恵というものだろう

結論ではなく、希望として、そう思う

「あまちゃん」が多いもの事実であるが
そんな人たちを信じたいとも思うのだ

ハゲタカも一貫して冷血なのでもない
教会に行ってチャリティに一所懸命である
その矛盾がまた観察者にとっては面白い
生きている感覚が違うのだろう

*****
資産のない人間が如何にして良心を売り渡さずに生きるか
それが問題である