祝祭性

確かに街は祝祭性に溢れている
人混みというのがそもそも祝祭である

満員の通勤電車などは祝祭空間以外には
存在しないだろう
渋谷の交差点の雑踏は
強烈にト゜ーパミン放出を誘発する状況だろう

しかもみんなある程度正装をしている
化粧もしてアクセサリーも着けている
それは祝祭の衣装と見ることもできる

みんなお金を使うつもりできているので
気分は高揚している

しかし従来からの本来の祝祭と違うのは
誰もがみなお客さんだということだ

昔は神への感謝であったり祈願であったりして
それは切実なものであった

お客さんになること、消費者になることによって
特権的な地位を確保しているのだが
参加は部分的で
心身の解放も部分的である

だから満たされない部分を別の経路で解放している

祝祭的であるが
祝祭ではないような気がする

祝祭の脳回路を使いつつ
消費者にとどまっている