文章と絵画

例えば、難解な文章を、平易な解説で解きほぐすことはできる。


絵画でそれができるだろうか?
ゴヤの絵のどれかを説明するにはやはり文章が必要である。
絵を絵で説明することはできそうにない。

文章と絵画の間に、このような非対称性がある。

解きほぐすには言葉が必要らしいということは、
人間が何かを「理解する」ことの本質にかかわっているのだろう。

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一方、かったるいトルストイの風景描写を一枚の絵で提示することはできそうである。
体験の質としては異なるけれど。

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時間軸に沿って正しく並べられている点で、音楽と文章は似ている。文章を音読している人はまさに「演奏」しているのだ。

絵画は体験の質が違う。
多分、モーツァルトには、絵のように音楽が一挙に「見えていた」のではないかと思う。

絵を時間をかけてみる人は、濃縮された時間を解きほぐしているのだろう。
画家が時間をかけて描いた、手の運動や目の運動を再現しようとしさえするだろう。
モネの睡蓮を見て、私はモネの運動を想像しない。
むしろ池の風を感じる。それはモネの技術なのだろう。