絶望がきざす頃

 格差がないようにするというのはやはりいかがなものか、と。めちゃくちゃな格差はよくないと思いますが、ある程度の格差はむしろあった方がいいと思います。世の中にはできるやつとできないやつがいて、足の速いやつと遅いやつ、歌のうまいやつと下手なやつ、勉強のできるやつとできないやつ、いろんな人間がいるということを認識させる必要があると思います。あまりにも平均教育というか、極端なたとえでいえば、運動会でトップの子が足踏みをしてみんなが来るのを待って全員でゴールするとか、これはもってのほかです。そんな教育をしていたら、世の中に出て人間には格差があるんだということを実感した時点で完全に挫折します。
 子どもの頃から格差を自覚した方がよいと思うのです。僕の子どもの頃も喧嘩の強いやつと弱いやつがいて、自分はこのくらいだと理解していました。腕力のヒエラルキーの中で弱いやつは弱いなりに、どう生きていくかという生き方を学ぶわけです。

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こんな風な言葉。採録。

確かにそうかもなあと遠い気分で思う。教師はおおむね鈍感で横暴でろくなものではなく、その教師にかわいがられていた生徒たちもろくなものではなかった。その周囲にさらにろくでもないものたちがいて、もうその頃から絶望はきざしていた。