リスタートでプレイボール

正直言って、他人がこう言っては不遜ですが、
人生をそんな風に判定はできないでしょう。

どれがいいとか、
どちらがいいとか、
しかも、もう起こってしまったことは起こってしまったのであって、
どんなに嘆いても、変えようもない。

まあ、その人なりの背景を頭に入れれば、
ぢっちがいいだろうなあと言うことはいえますよ、
でも、それだけのことで、
本当はどっちとも言いがたい。

嘆いて、泣けばいいんです、
一時はね。
もう充分に。

でも、そこからはいつもスタートじゃないですか。
リスタートですよ。

気持ちに区切りがつかないうちは、
なんだかいつも敗戦処理投手のような感じでしょう。

区切りをつければ、
いつもそこから新しい人生でしょう。

野球の試合を、9回で終わらせないで、
いつまでも続けて、いま187回の裏、なんて言ってたらどうです?
やってられないですよね。
9回で終わらせるんですよ。
で、また次は新しい試合。

過去は変えられない。
未来はまだ来ない。

未来を考えようと言いますが、
そうですよね、それは正しい。
未来に向けて自分を投企する。正しい。

でもね、考えどおりにいく未来なんてないですよ、
いつも思いがけなくて、
あるのは今だけでしょう、
とりあえず目の前のことを片付けていく。
それしかないじゃないですか。

どんなページがあるのかなんて、
所詮分からないでしょう。

未来なんてわかんないよなんて言ってるから、余計分かんなくなるかな。
考えたとおりの未来を生きるぞって
固く決意すれば、ある程度そのとおりに行くものなのかもしれない。

わたしは個人的にはそんな風には思えない。
いろんな人生を見ていると。
分かんないことばっかり。

神様って一体何を見てるんだかって思うけど、
それが不遜というもので、
そんなことだからろくなことにならないよ、
分かっています、はい。

世界の国々とかいうページをめくっていると、
こんな写真。
子供たちの顔はもうみんな150パーセントって感じでしょう。
それで、持っている絵がこれでしょう。

気持ちもからだも重いけど、
もう一回、起き上がろうという感じでいきましょうか。

まず区切りをつけましょう。
もう延長戦じゃないってところまで、
とにかく行こうじゃないですか。

そこからまたプレイボール。