聖火リレー 現実的な絶望の上に敢えて築く希望

夜遅く疲れて帰り着いて
電子レンジで加熱して
一人で食事をしていたら
ニュースのなかで
聖火リレーの様子を映し出していた

この国はこんな姿をしているのか
何が「聖火」なのだろう
わたしには事態が理解できない

後期高齢者医療制度
医療現場における立ち去り型サボタージュ
産科のたらいまわし
自殺の増加
そんなことをまじめに考えている人間がおよそバカを見るのだ

良心的な人たちと組織は心を痛めて辞退したのだろう

国家権力は
頭の悪いやつらは
少しのいい思いをさせれば
いくらでもいうことを聞くと
考えているのが明白ではないか?

中国は走者をあからさまに何重にも取り囲み守り
フランス語を話す国境なき記者団の実行部隊はそれに敢えて暴力的に接近し
警備隊はそれを暴力で排除し
結果的にニュース映像になるという目的は達し
マスコミはそのように応じ
なんという醜い暴力と暴力と権力とマスコミだろう

こんなもののこんな現状を守るために医者が当直をして身を削っているのかと思うと
絶望する

しかしまた知人の中には警察の人間もいて実に勤勉に働いている
その人たちの組織がこんなことをしている
マスコミの知人も一人一人はいい人なのに
結果はこれだ
ただ絶望する

テレビから目を転じて
下を見ると新聞の一面下の広告が見える
ただ有名になっただけの人が何か書いて印税を稼いでいる
伝えるべきはもっと大切なことではないか?
それなのに雑誌のように発行されて消費される書籍
アサヒ芸能以下の紙面を作って恥じない朝日新聞
ただそれだけの社会に
再び絶望する

水中出産と言って
水の中で出産する方法を選んだ人がいて
結果的に赤ん坊は溺れて
突然の救急で対応した医者は
なぜ当然の準備をしないのか
困ったら救急なのかと
心底絶望している

言葉のない赤ん坊が何をいいたいのか、
我々はよく考えてみなければならない。

しかしここで持ちこたえよう
次の世代に
このようなつまらない「聖火」ではなく
明確な「希望」をリレーしよう

政治もマスコミもすでに占拠された
しかし
連帯もあり希望もある

明確な現実的な絶望の上に敢えて築く希望こそが本当の希望なのだと
バートランド・ラッセルが述べている。