ネット社会とごっこ遊びと8丁目とリクリエーション・再創造

一時的部分的退行をしている点では
ネット社会と
ごっこ遊びと
8丁目社交場は
共通点がある。

8丁目のまじめなお嬢さんは
わたし、昼は法化大学院に行って、忙しくて。レポートも多いし、調べものも多くて。ごめんね、昼にお付き合いしたいんだけど、一応お勉強優先なのよ。なるべく短時間で率のいいバイトを探して、8丁目にきめたの。4月からで、週末だけだから、そんなに経験はないの。だから週末も忙しいの。同伴とかとれば収入にはなるけど、なんだかそこまではできないって感じで。ここだといろんな社会勉強もできるでしょう、それだけでいいわ。あなたみたいな人のお話が聞けるんだもの。ここは客筋がいいって、みんな言ってるし。

なんていって嘘で固めている。デザイナーとか花屋さんで勤めているとかの人も多い。
一貫した嘘をつかないといけないので、頭が悪いと出来ない。

これが一時的仮面的アイデンティティを身にまとうということである。
ネット社会もごっこ遊びも同じ。
仮面舞踏会と同じ。
いまならコスプレ。

8丁目のまじめなお嬢さんの実際の住所は白金・芝・高輪の小さなマンションが多い。あまり高くなくて、交通はほどほどによくて、しかし、住所は自慢できるようなところ。プロしか分からないような本当のいいところに住む必要はない。素人がびっくりするような住所に住みたい。家族もちが多いような場所はかえって惨めになるのでだめ。100平米の家族用マンションではなくて50平米の単身用マンション。セキュリティがしっかりしていて、犬を飼っている人が多い。近くにろくなスーパーはない。炊飯器さえない人も多い。買ってくればいいというのが表向きの理由だけれど、うまく炊けないのだ。ご飯をうまく炊くには技術が必要だ。うまい人は鍋だけでご飯を炊いてしまうから、そんな人たちもまた炊飯器が要らない。

これも一時的仮面的アイデンティティの形成である。将来を見据えた本当の資産形成をしていない。今だけ一時的に見栄を張れればいいのである。ネット社会の延長で現実を生きている人は、たったそれだけの理由で職業を選んだりしている。自分の人生と中身を創っていくという考えがない。いつでもごっこ遊びなのだ。

アフターで帰るときには立川に親と住んでいてどうしても帰らないといけないし遠いしなどと言ってタクシー代をもらう。タクシーチケットはもちろん人気である。税金のかからない2万円は大きい。日本も本と格差社会だわ。ポンと現金でくれる人もあれば、役所や会社のタクシー券を見せびらかす人がいたり。どっちでもいいけど。人間なんて中身はおんなじ。何かの偶然で立場が分かれているだけだわ。

アクセサリーや時計もやや地味なもので通す。買って欲しいものをほのめかしておくがたくさんの客に同じ物をねだる。するとプレゼントされたものの中でひとつだけ残して、あとはコメ兵。または後輩に回すこともある。

嘘をつくのが毎日になる。ネット社会でもそんなもの。

こ人たちがお店を任されて経営陣になると急に現実的になって、リアルなアイデンティティを身にまとう。「近頃の若い子は信じられないわ。休むなら休むで、こっちは人の手配があるんだから、早めに電話してって何回も言ってんの。わかんないかな、そんなこと。最近は学校で何教えてんのかな」と切れたりもする。

ネット社会の住人も時にリアルになることがある。

8丁目で勤め続けるにもやはり特有の美貌とお金に執着する才覚とある種の性格が必要である。だれでもなれるものでもない。
ネット社会参入はそれほど難しくはないのだが、それでも、ある程度のハードルはある。携帯ネットの方がハードルは低い。マシンに対するメンテナンスがいらない。

頭の弱い子が入ってきても、やっぱり悪い客もいて、悪いように遊ばれる。恋愛ごっこのぎりぎりで商売にしているわけだから、相手よりも上の恋愛ごっこをしなくちゃいけない。ときどきリアルになる子がいる。
ネットの中でもそうで、ここはバーチャルな場所なんだと割り切らないと浮いてしまう。
先輩を立てるとか後輩にも気を使うとかそんなことはやはり必要。派閥もできる。これも8丁目もネット社会も同じ。もともとごっこ遊びしているんだから、もっと自由になればいいようなもんだけど、やっぱり人間が仁義を通せばそんなことになる。どこでもおんなじ。

困った客を上手にあしらうのがプロというもので。本質的にもてる人は8丁目に来る必要がないわけだもの。接待で同席してもわたしたちには上手に接するんだけどその気はないって分かるわね。もてない人が夢を見たくて来るんだよね、だから少しだけ夢を見させて、自然に醒めるようにしてあげるわけだ。
それに困ったも過ぎると自分の首を絞めることになるもの。最近の会社は厳しいし。
看護婦さんなんかも、一時的に、好きだなんて言われて、だんだん上手に距離をとるわけでしょう。ストーカーみたいな人もいるんだけど、もともと嘘で固めてあるから、現実生活に支障は出ない。
ネット社会でも困ったアラシさんがいるわけだけれど、それは割り切ってさばいてあしらうという感じ。Mixiで何か話してすぐに現実に会おうとかいうのも一種の困ったさんで、困ったさんだけど、困ったさんだということが分かりやすいから余り問題にはならない。幼児化もすごくて、メールしてきても内容がね、自分のことばっかりで、食事の献立とか、今日の仕事とか、客のいやなところとか、わたしあんたのママじゃないのって、昔からあるセリフをいいたくなるくらい、みんな昔のままの、成長不全なのよ。女の子ってものがわかってなくて、いや、でも、ひょっとしたら、それで成功体験があるのかも。その幼児性丸出しを続けていればいつかは、母性丸出しの女性に当たるわけでしよう、それもまあ、いいんでしょうね。でも、その場合には、メールで「取説」が流されてくる。こういう理由でここまでは引き出せ、ここから先は退却、そんな感じの。

8丁目でもてる人は会社でも普通の合コンでももてるでしょうね。まあ、ある程度ステイタスがないとこられないから、会社で恋愛といっても、秘書課の最高の女性と不倫ということになるのよ。秘書課の子は代々それで泣いているくせに、でも、たまに、奥さんと別れて、玉の輿成功のことがあって、そんなこともあるから、やっぱりやめられないのね、役員との不倫は。最近は役員不倫がばれると交渉カードになってその後の人生が狂うけどね。

お金じゃないのよ、最後は。優しい人が分をわきまえて接してくれれば、わたしたちだってその分はサー
ビスするの。頭の中には正確な値段表があるから。そこで搾取はしないのよ。だって気分が悪いもの。自分で本当にサービスした分を支払ってもらう、私はその点は生真面目だわ。

純な気持ちも少しはあって、素敵だなあっていう人には、携帯番号を交換しても、自分からは営業メールを出さなかったりする。それがわたしとしてのなんとなく境界線だな。

思わせぶりな事をいうのが仕事でしょう。すると、本気でいいなあと思っている人に言うこともやっぱり同じなんだな。擬似恋愛を商売にしているとはいえ、自分でも混乱しているんだわね。

変なのはね、別に好きじゃないけど、仕事でデートしてるでしょ、そのときに、「あ、なんだか、わたしこの人のことがすきなんだ」と思う瞬間があったりして、不思議だと思った。心の奥のものが少しずつ伝わってくるっていうか。だからある程度は付き合ってみないと見えないところもあるわね。難しい。

このあたりは、一時的仮面的アイデンティティで生きていると難しいだろう。

8丁目は恋する気分を売る仕事。恋する自分のイメージを創る場所。
ネットも、誇大な自己イメージを創る場所。
ごっこ遊びも、正義の味方になって、悪をやっつける、自己愛増幅の場所。最近はエコロジーの戦いのようだが。あれって、主婦的戦闘だよね。

でもね、修羅場ってやっぱりあるわけ。リアルな問題のこともあるし、ファイタジーの領域のこともある。だいたいは客を取ったとらない、金の清算が違う違わない、そんなことだけど、お金とプライドの天秤は誰にとっても難しい。いろんなお金があって、いろんなプライドがあるんだもの。

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8丁目のお嬢さんもネット社会の住人も、
自分を創る(クリエーション)という気分がない。
今の自分でできる事をとりあえずやっているというだけ。
将来の見通しもない。
リクリエーションは再創造と言うことで、
いったん創り上げたものを保留してないかのようにして、
一時的で仮面的な人格を再創造する。だからリクリエーションと言うのだ。

しかし、クリエーションの土台になったものがないと、
リクリエーションも出来ないだろうと思うのだ。

ときに8丁目を突然駆け抜けていくまぶしい女性がいる。
多分、何か事情があって誰かのところを出てきて、
しかし男が放っておかないくらいいい女だからまた誰かのところに納まるのだろう。

その意味では、クリエーションという安定時期と、
リクリエーションという時期を経たあとの次のクリエーションという安定時期との間の、
短い一時的仮面的アイデンティティの時期、それをリクリエーションと言っていいのだろう。
その時期に新しい化学反応が起こって、
違う物質が出現する、その様な、魔術であり、錬金術である。
その現場が、8丁目であり、ネット空間であり、ごっこ遊びである。

だから、いつまでもネット社会に住んでいたり、8丁目に住んでいたり、ごっこ遊びで遊んでいたりするのは、やはりちょっと間違っていて、長居をする場所ではないと割り切るべきである。
あるいは、自分が変わる時にはお世話になってもいい場所なのだと決めて、一時的に転がり込むのがいいのかもしれない。