野球選手は迷信深い

野球選手は迷信深いという観察があり
それには理由があると思う

野球選手の仕事がたとえば常に時速140キロのボールを投げることであったら
多分迷信は必要ないと思う

野球には相手があり
さらにアンパイアがいて
だいたい拮抗するいい勝負になるように仕組みができているので
常に楽に勝利するわけにはいかない
ぎりぎりのパフォーマンスを求められる

そんな状況で自分の勝利の体験のどの要素が本質的であったかが実は本人にも分からない
分からないから丸ごと前回の体験を反復するようになり
それが迷信深さにつながることになる

圧倒的な力があれば迷信は必要ないが
野球というシステムが両チームのバランスをとるようにできているので
ある程度力があってもやはり迷信に頼るようになる

根本的にいえば原因分析ができていないからなのだが
野球の場合に根本的な原因分析はできないだろう
複雑すぎる

現実が複雑すぎるときに人間のとる行動は現実の単純化である
それは行為・思考のタイプでいえば強迫性行為と思考である

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その人の知能に比較して問題が複雑すぎる場合に
人は強迫性思考と行動で対処する

強迫性の中には呪術や宗教的思考が含まれている

人間にとって強迫性が根源的ではないが
現実が複雑すぎる場合には強迫的になる傾向があるので
歴史的に見れば人類にとって現実は常に困難であったから
人類は歴史を通じて常に強迫的であった

(1)人生における不確実性、予測不能性、曖昧性を極小に抑えるための単純にして明快な生活信条ないし生活様式の設定
(2)それによって整然たる世界を構成しうると考える空想的万能感
(3)予測不可能性をあらかじめ排除する何らかの形での呪術の利用
(4)不確実性の高い生活領域への不参加とそれによる生活圏の狭隘化

不確実さに耐えることは人間にとって非常に不安なことである
現実を単純であると見なす強迫性思考は不安を一段軽くしてくれる