古典作品 「夜半の寝覚め」

ドナルド・キーンがこんなことを言っている。
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 私は、『夜半の寝覚め』という同じ平安朝の物語も、きわめておもしろいと思います。愛し合っている2人がなかなかいっしょになれない。そして、結婚できる機会があるときに女性が断るというすごい場面があります。そうした場面は、現代の小説で書かれていても違和感がないし、とても現代的な考え方です。

紫式部が『源氏物語』の第1巻を書いたときに、物語の結末をわかっていたのかどうか、私にはわかりませんが、『夜半の寝覚め』を書いた女性は結末をよくわかっていたと思います。つまり、始めから小説を書こうと考えていたと思うんです。その意味で、『夜半の寝覚め』は『源氏物語』よりも現代的という面もあります。
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『夜半の寝覚め』は部分しか残っていないので研究もしにくいらしい。
しかし肝心の部分は、美しい女がいて、姉の夫、つまり義理の兄を初めての男性としてしまい、子供を産み、しかし自分は別の男性と結婚し、それでもその後の人生でも思い続け、夫が死んだので、義兄はなおも言い寄るのだが、断り、今度は天皇が自分を力づくで希望するのだが、その時に思うのは、義兄のことで、「あら私、夫のことをいいわけにして義兄を遠ざけているのに、こんなことになってまずはじめに強く思うのは義兄のことなんだわ」なんていうように自分の心に気付いてしまい、添うでもなく離れるでもなく、関係を続けて行くのである。
前半の物語では、「寝覚め」は、男性が女性を思ってのことであり、後半での「寝覚め」は、女性が男性を思ってのことであるというのだ。

国文の先生方を拝見するに、このような色っぽい話にふさわしい人もいないようで、不思議な感じがする。
好きな女を思って「寝覚め」してしまうような男は現代では国文の先生なんてしていないのだろう。

彼らの研究の一部を紹介すると、
一応「夜半の寝覚め」といわれている作品の、「本当のタイトル」は何か、「夜半の寝覚め」「夜の寝覚め」「寝覚め」などがあるが、決定的ではない。
なんて言うらしい。ありがたいお話である。

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追記
そう思っていたら、それは私の事実認識の甘さで、高校教師、大学教師は、女生徒にたいして、いろいろとあるのだという。ぱっとしなくても、生徒にはかけがえのない男性となるものらしい。色事の神髄はやはり、高校大学の教師が実践しているらしい。何しろ相手が相手だから、真剣に燃えるらしい。そして吸収もいい。教えるのが本職だし、教わるのが本職だから、どんどん上達するのだという。
皆さん、教員を放置しておいてはいけません。

ここでも、集団内ですてきな人一定の法則が働いている。
女子高校生の場合、そんなに多くの男性に接していないから、
とりあえず男性教師はもてる。