すべての人間の言語は方言である

人間の歴史を考えればそうとしか考えられない。

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そのような類を議論する分野として、
弥生人の農耕が取り上げられていた。

弥生時代に農耕が始まるとして、
朝鮮半島などから、人が偶然に流れ着いて、
言葉が何とか通じるようになってから、実は稲作があって、
偶然もってきたけれど、これが米、なんていうはずはないだろうと言うのである。

田んぼをつくるには、幅広い技術が必要で組織力が必要である。

田んぼを耕すのにも時間がかかる。水はけを調整するのも、ちょうど良い土地にちょうど良いくらいの水を流す必要があるわけで、ジャガイモみたいに、埋めておけば何とかなるというものではない。

と言うことは、農耕の道具、苗、人材、それらがいっぺんに計画的に日本に来たのではないかというものだった。

なるほどそうかもしれない。ぼんやりしていて日本に流されてくるような個人に出来るものではなさそうだ。

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農耕と共に言語も混じり合ったものと思われるが、どうなったのだろう。漢字で表記すること自体が大陸の影響を示しているわけだろう。
書き言葉のない時代の日本語の音を漢字で書き取ったものなのだろう。何としぶとく日本語が残ったのだ。
どうして中国語をそのまま使わなかったのだろう。
それほどに田舎であったということか。あっさり先進文化に同一化する民族ではなかったらしい。

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すべての人間の言語は方言である
そしてすべての言語は
唯一の原言語の痕跡を各所にとどめているはずである。
そして探求が始まる。