ネット社会と嘘とイマジネーション

ネット社会が批判的に語られるとき
それは嘘の社会だという文脈なのだろうと思う

実際、成りすましや成りきりはあるようで
成りすましは嘘に近いが
成りきりは現実で行き詰まっている人の一時的な慰めでもあるようで
見ている側としても
ほら話だと知りつつなお悲しさが伝わってくるので
責める気分にはなれない

いったい、自分のイマジネーションを語るとき、
これは嘘です、空想ですと断って
空想を語るものだろうかと疑問にも思う

実害があれば別だけれど
そんなことがないのなら大目に見てもいいように思う

嘘はいけないけれど
イマジネーションをふくらませることは悪いことでもないと思う
言い換えているだけだけれど

人の迷惑にならないこと
それが守られていれば
まあまあなのではないかと思う

嘘にさんざんいやな目にあって
嫌っている人たちが多いことも一方ではよく分かるけれど
潔癖すぎるのも完全すぎるのも、大人とは言えない。