自己愛の延長物 それは片思いで充分

いわゆる
ナルシスティック・エクステンション
です

自己愛性の世界の中に生きている
ナルシス・ナル君にすれば
自分がたいしたものであることはもちろんですが、
自分にまつわるいろいろなものも、
もちろん、たいしたものなわけです。

いろんなものにナルチャンしるしがついています

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父ちゃんはすげえし
母ちゃんもすげえなんていうわけで
おじちゃんにもすごいのがいて
出身学校はすげえし
習った先生はすげえ
かかった病院の先生はすげえし
呑みに行く呑み屋のマスターはもちろんたいしたもんなわけだ
昔つきあった女なんかそこらにいないくらいすごいらしくてすっげえ

たいていは恥ずかしいからいわないけれど
酒を飲んでいたりすると
抑制が取れているからべらべら喋る

郷土はすごいし
日本はすごいし
東洋は神秘の国なわけだ

新橋には郷土料理を振舞うらしい
分かりやすい名前の呑み屋がいくつもある。
沖縄風、宇和島、その他。

自分はすごいし自分が関わるものすべてがすごいと思ってしまうナイーヴな心が人間には
原初的にあると認める
自民党が教育したいと思っているのは
郷土と国を愛するこころというやつで
それが自己愛の延長なら別に教育するまでもない
客観的に見つめるならば
それぞれの土地にそれぞれの人が住んでいるわけで
自分が生まれたから特別いいというのはなんだかかなり恥ずかしいナイーヴさなのである

是々非々という原則がない

しかしそれはいいとして
自己愛の延長物をこうしてあれこれ並べていくと
二つに大別できる

わたしあんたと関係ないよといわれかねない系統と
いわれる心配のないもの

元かのとかマスターとか医者とかは
お前なんか認めないといわれるかもしれない
勝手に関係者にしないでくれと言われるかもしれない

国とか出身校とかテニスとか
そんなものはなかなか否定する人がいないから
そのまま通ってしまう
お前なんか日本人と認めないと強行に語る怖い人がいたり
お前なんかわが校の恥だなんていわれたり
お前なんかにテニスを語って欲しくないとかいわれたり
いろいろなケースは考えられるが
原則として
国も学校もスポーツそのものも
関係を否定したりしない

自分が熱く語っていれば
それで関係は安定する
片思いで充分なのだ

だとすれば
心配な人は
否定されない系統のものをよりどころにして
ナルシスティック・エクステンションを試みるのがいいだろうということになる

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ネットの世界はなんとなく
関係を否定されない種類の
エクステンションのような気がする。

もちろん裏サイトとかきつい関係もあるけれど、
そうではなくて
従順な一員である限りは関係を否定されない
そういう母性的な一面もあるのだ
片思い歓迎である

そうなると
その場所は自己愛が繁茂する培地となる

現実の社会で
どこかの集団に所属しようと思えば
ある程度のハードルがある

あるテニスサークルは二人以上の紹介者が必要で維持費がかなりかかる
ある学校は入学試験があるし
あるマンションに入居するにはかなりのお金が必要
野球部に入っても球拾いだけではつらすぎる
芸能界はまた厳しい
特に努力も必要ない才能も要らない紹介も金も要らないとなれば
ネットはまさにそれだ

日本人だと日本にいて威張るには本当の日本人という一段上のステイタスを自己規定する必要があるが
ネットの世界なら、周囲の誰とも違うステージにいるのだと自己愛を満足させることができる。

そんなものがいくらの金になるんだ、
それで女にもてるのか、
という世間並みの意見はここでは通用しない。
人に認められなくてもいいのだ。
自分でたいしたものだと信じられればそれでいい。
だからそんな系統の人たちがネット世界で、
たいしたものだと褒めあえば、それはそれで自己愛システムが成立するのだ。

否定されにくくて些細なものといえばブランド物かもしれない。
身につける人を選べないのはつらいところではあるけれど。
商売だからたくさん売りたいけれど
たくさん売るとブランド価値が下がるから、
頭が痛い。