山月記について-2

理想に燃えること。理想に忠実であること。生活の必要はその次だと論理の上でも、感情の上でも、完全に納得すること。
その手続きさえ完了していれば、生活が苦しかろうと、未来に疑念が生じようと、自分の才能に疑問が生まれようと、とにかく、まっすぐに生きることだ。


世の中には、そのような人間も必要なのだと腹をくくることだ。
官吏の代わりなどいくらでもいるのだ。
自分の人生を生きるのは自分しかいない。


それを青臭い、未成熟と考えるのもひとつの感受性である。それはそれでよい。
しかし一方、
それは理想に忠実な大切な態度である。
すべての人に勧められるわけではないが、
集団の中で、ある特定の少数者には、
そのような人生を歩んで欲しいと願っている。


例えば、絵を描く才能があったら、そして、志があったら、
貧乏も承知で、尊敬されないことも承知で、
まっすぐ進んで欲しい。
絵を描く才能は、誰にでもあるものではない。
そして、その才能を信じてみようかと考えることも、誰にでも生じるわけではないのだ。

地盤を引き継いだ二世・三世議員はどこに志があるのだろう。
かけらでもいい、見せて欲しい。
それとも結局保身と世俗的欲求のチャンピオンなのだろうか。
知人には一人もいないので分からないのだが。

教育基本法と憲法をいじることが、
理想の実現なのだろうか?
わたしなどには分からない世界の話であるが。