ネット社会との親和性

人間は一人でいると寂しい
しかし二人でいると時には傷つけあう
そこで傷つけずしかし寂しくもないちょうど良い妥協線を見つける
それがヤマアラシのジレンマである

人間の中には傷つくことに極度に敏感な人たちがいて
仲間と付き合うよりはむしろ引きこもっていたほうが楽である
しかし一方寂しいので少しだけ勇気を出して仲間のいるところや
自分を否定しないやさしい場所に出かけていくことがある

ネット時代になって
一人で引きこもっていて、寂しさはネットで満たしてもらうとすれば、
対人関係で傷つくことなくしかも寂しくもない
ましてオンラインゲームで遊ぶようになれば
現実世界での対人関係の不得意さを忘れて仲間と遊ぶことができる

対人関係が苦手な人たちも結局人々の中に出て生きるしかないのだと納得すればそれなりに自分の生きる場所を見つけるものだと思うのであるが、
ネット社会に吸い込まれて時を過ごしているとそんな必要も感じないし
自分が人生の中で克服すべき問題点も忘れて
時を過ごすことができる。

小此木啓吾はこのあたりの事情を1.5の対人関係と呼んでいたと思う。
一人きりの1でもない、二人でヤマアラシのジレンマを学習する2でもない、
基本的には一人で、必要なときだけ傷つかない程度の関係を持つのが1.5の関係である。

もちろん人格の発達は1から2、さらには3と複数へと進展するのだが、
1.5の場合は、そこでずっと立ち止まってしまうことができる。
それで退屈かといえばそんなことはない。
刺激的な世界がいつまでも続く。

対人関係から退却した人たち、退却症候群の人たちの一部は、
ネット社会に吸い込まれ、
ネット社会に見事に適応し、
たとえばオンラインゲームでは、無限の時間を使える引きこもりゲーマーが圧倒的に有利なのであって、
その仮想世界では、彼はヒーローである。

ならば、その退却をやめて、現実世界で生きていこうとする動機はなくなる。

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引きこもり傾向の人が現実世界に出て行く動機は、
異性と職業である。
しかしネット社会ではたくさんの異性を供給している。
職業に就かなくてもしばらくは生きていける社会になっている。
登校刺激を控える学校と
就業刺激を控える社会が
1.5のままで引きこもる若者を量産している。