NHK新日曜美術館 ゴーギャン なかにし礼

我々はどこから来たのか
我々は何者か
我々はどこへ行くのか
ゴーギャン
格好いいけど何も語っていない
問いかけとしての強さはある

いい所から来たはずだけれど
堕落した者になっていて
ろくでもない未来が待っている
と言いたいようだ

タヒチで新しい美の発見
たしかに美である。

ゴッホとの共同生活は2ヶ月だけ。幼少時をペルーで過ごしたゴーギャンの、異邦人の感覚。
子供時代の強い刻印。
子供時代によって人間を解釈するのは
部分的である。

株屋だった。
人生と芸術のために仕事をやめた。妻子はふるさとに帰った。
よっぽど愛想が尽きていたんだね。

司会も発言者も歳をとっている。これが日本。

なかにし礼のかいた石狩挽歌が流れる。
北原ミレイはいまも歌で商売をしていて、
テレビで顔を見ると悲しい。

石狩挽歌の作詞者がこの人だということは知っていて、
そしてこの人がゴーギャンについて熱く語っているのがよく分からなくて不思議だ

異邦人の感覚 これが鍵概念であるようだ

「この世界は自分向きじゃない」という感覚。
それはいろいろなケースがある。
自殺未遂もしているし、周期的に
異和感の発作が起こることもある。

ゴーギャンの女性はある種の異質でつきぬけた美しさを放っている
テレビで放映していた現地の女性たち
踊りがなんとも素朴で
なるほど美しい人たちだ

所詮よそ者でしかない感覚
それはいいことではないかとサイードはいう。
Out of place.