人格成熟とは何かについての疑問

笠原嘉は1976年の出版の著作の中で次のように書いている。

強迫性格の特徴
(1)人生における不確実性、予測不能性、曖昧性を極小に抑えるための単純にして明快な生活信条ないし生活様式の設定
(2)それによって整然たる世界を構成しうると考える空想的万能感
(3)予測不可能性をあらかじめ排除する何らかの形での呪術の利用
(4)不確実性の高い生活領域への不参加とそれによる生活圏の狭隘化

これはそのまま現代の若者の特性ではないかと思った。

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強迫性格傾向(A細胞成分)と未熟な自己愛成分が同居すると、
たぶん上述のようになる。それぞれから自己愛成分を抽出すれば次のようになる。

(1)勝手に自分の生活様式を決めてしまうのは、自己中心である。⇒自分主義
(2)空想的万能感は未熟な自己愛の中核である。⇒機械を通じての誇大性
(3)呪術を有効と信じるのは自己愛的である。⇒機械を通じての呪術性
(4)生活圏を勝手に狭める自己中心性。⇒こきこもり

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改めて考えてみると
これを自己愛傾向と考えるよりは
やはり本来の強迫性傾向の保存というべきなのかもしれない。

強迫性格も成熟して社会化する方向を逃しているし
同時に自己愛も成熟し損ねている印象である

文化・文明が円熟すれば幼形成熟するのは一般通則なのかもしれない

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考えてみれば人格の成熟という概念も危ういものかもしれない

極端に言えば軍隊、学校、会社に都合のいい性格が成熟した性格と言われているだけなのかもしれないのだ

戦争と平和の間で
成熟と未熟を反復しているだけかもしれない

だとすれば成熟・未熟の用語は明らかに価値判断を含んだ言葉なので
別の言葉が望ましいことになる

戦争性格と平和性格でもいいくらいだ