いじめの仕組み

世の中の動物は順位性をとっている
二匹が出会えば、集団内での優劣を決める儀式がある
その順に餌をとる

子どもは思春期で一度生まれかわる

思春期以前の序列と思春期以後の序列が変わってしまう
これは大きな問題である

思春期以前、子どもたちの順列を決定するのは、
性格要因である。
引っ込み思案で目立たない子は奥にいる。
目立つ子や威張る子が前面に出る。
これは子どもがまだ生産活動にも性活動にも参加していないからだ。
主に、生まれつきの気質とか、家族内での兄弟の配置、父母の性格・生活様式、そんなものが大きく関係している。

思春期を迎えて、性格ではなく能力が問われるようになる。
のろまに見えていた子が実は数学ができたり、
野球が上手で人気だった子も、将来性はないと分かったりする。
女の子は他人のサポートがうまかったりして、マネージャー能力を発揮したりもする。
急に大人びてきれいになったりもする。
つまりは大人になってどのようなポジションを占めるか、おぼろげながら分かってくる。
それは個人の能力であるから、どうしようもない。

社会の中での能力は、社会が圧力をかけてそれを隠蔽して過ごすこともできるが、
他国との競争が問題になると、やはり能力を発揮してもらうしかないようになる。
政治家で二世三世が多いのは、他国との本当の競争にさらされていないからだ。
国内の選挙行動をコントロールしていればよいだけである。
総理大臣として不適格とされた森氏も選挙をやれば安泰で勝ち残る。

それはいいとして、
思春期になり能力が評価される場面になると、
いままで優位に立っていた子どもが、
急激に劣位に立たされることがある。
ここがつらい。

能力によって上位に立っている子どもは、
特にいじめる必要はない。
むしろ現状が続けば利益なのだ。
子ども時代に優位であったが、思春期になって劣位に立った子どもは、
自分の社会でのポジションを受け入れるまで、
苦しまなければならない。
何しろ、世界がこれまでとは大きく変わってしまうのだ。
自分は劣位なのだ。
そこで、とりあえず、自分よりも劣位の人間に対していじめを開始する。
優位であった頃の心地よさが忘れられない。
いままで劣位にあったものに大きな顔をされるのはプライドが許さない。
そう考えると、子どもも辛いのだ。
何か一つでも優位なものを持っていればかなり違うだろうが。

こんな事情ばかりではないけれども、
こんな事情の場合もあるだろうと想像して書いてみた。
断定ではない。