世間を見ていて思うこと

世間を見ていて思うのだが
お金持ちになったり
権力者になったり
地位が上になったり
平たく言えば偉くなったり
また有名になったり
才能を認められたり
一般に言ってみんなから羨ましがられるようなとき
その人自身はあまりうれしくないことも多い

なぜか
上のような状態は
socio-economic-class、つまり
社会経済階級が上がるということだ
上がってすぐは変化があっておもしろいだろう
私はこんな人と食事をしているのだと思って感激したりもするだろう
しかしすぐに慣れてしまう
普通付き合いをする相手は自分と同等か自分以上の人のことが多い
教養でも
経験でも
金銭でも
地位でも
結局いままで以上に気を使う
何しろ、怒らせたら厄介な相手なのである

いままでクラスが下のときはそんなに気を使わなくてよかった
気分を損ねたとしてもたいして実害はない
怒ってもたいしたこともできない人たちだ
しかし今度は本気で怒ったらかなり怖いのである

実際怖い目にあってやっと人は鍛えられるようにも思うが
それにしても気を使う

クラスが上がっても、威張っていられる場面は多くはならないのだ
むしろ傲慢だと誤解されることが多くなる
そして同じクラスの人たちの中に実際に愚かで傲慢でどうしようもない人が多いことに気付き
ますます世の中を嫌悪することになる

ベンツの大きいのに乗っている人が
謙虚な運転をするかどうか
皆さん知っていると思う
わたしなら駐車場で隣になりたくない

そしてそんなベンツ同士であれこれ言うのだから
大変に憂うつであると推定する

だから多分、お金も地位も人を幸せにしないと
自分に言い聞かせて納得させている

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たとえば夫婦である

学歴、財産、才能、教養、どれも抜きん出た人がいたとする
多分そんな人は自分にふさわしいと思う人を配偶者として選択する
すると、学歴も、財産も、才能も、教養も、どれもまったく役に立たない
むしろ相手のほうが上だったりすることもある
人格として尊敬できれば一番だが
それは庶民の感情であってクラスが上に行くほどそんなものは価値がない
上に行くほど目に見えるものしか信じない

だから配偶者選択は難しい
本当に自分を幸せにしてくれる人を選べるか
社会的知能が試されている