静かな余生

体験の記憶は似たような場所に層的に積もり重なるものだと思う

古い雪の上に
新しい雪が降るように

あるいは古い落ち葉の上に
新しい落ち葉が
降り積もるように

自分のことを
古い落ち葉とも思いたくはないが
ある人にとっては私は古い落ち葉であるに違いない

*****
しかしそうした思い出の全部を思い出すとき、
層的には思い出さないで、
あるいは層的に思い出すなどということは原理的には無理なことで
思考と感情の同一平面上に並べてみることになるのだろう

実際は自分の内的な体験構造としては層的な立体的な構造なのだと感覚している

*****
その層の一つ一つが結局私という人生のすべてだった
皆さんのおかげでいい人生だった
これから先、静かに静かに余生を送りたいのだ