ヒエラルキーとフラット

人間関係のパターンとして、
ヒエラルキーを望む人と、
フラットな関係を望む人がい。
それぞれコミュニケーションの仕方がちがう。

これはどういうものかと思う。

上下関係を望む人と水平関係を望む人とがいて、
縦社会日本とか軍隊、官僚などはヒエラルキー型。
アメリカ人というのはフランクとかフレンドリーとかといって限りなく水平。

ヒエラルキー型の方が人間としてては本来のものなのだろうと思う。

水平な友達関係というのは、法律的な思考が普及して
フランス革命以降の自由平等観念が共有されてから後のものではないかと思う。

現実に家柄や財産力や社会的立場などでヒエラルキーはあるのであるが、
いまこうして酒場で飲んでいるかぎりはフラットな関係であることにしよう
という仮想的な状態を作り出している

ヒエラルキーはリアルで、
フラットはバーチャルなのだと思う。

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現実の社会ではヒエラルキーを前提として、
ときどきバーチャルなフラットを挟み込むと、
うまい具合に事が運ぶ。
フラットであることを演じられるのは高度な知性があるという証拠であるとお互いが認知している。

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義理と人情という世界は根本的にフラットなのかもしれないと思ったりする。
究極的には男と男で階級を超えて認め合う雰囲気はあるはず。
人間の中身の関係としてはフラットである。
しかし社会の中での席はヒエラルキーである。
そのような意識を生きている。