人は問題意識に合わせて世界を切り取る

養老氏が唯脳論といった言葉で表現しているように、
世界がどのようにあるかということの前提として脳の問題、
または認識の問題がある。
しかしまたそうした脳が発生して、進化の中で保持されてきたということは、
脳を含めた世界がそのように存在するということだ。
さらに、そのように、脳を含めた世界全体を認識しているのが脳である。
部分と全体の入れ子型循環論を形成しているようである。

脳科学は流行なのだが、
しかしそれも流行以上のものにはならないだろう。
各論になれば世界についての科学と創造そのものになってしまう。

哲学を諸学についての学という場合もあるが、
そのような包括的で役に立つ哲学に出会ったことはないように思う。
大学にいるのは、プラトンについての注釈学者である。

つまりはどのようにしても諸学が存在するだけである。
諸学はそれぞれ自分に合わせて世界を切り取り構成する。
解決できないものは見ない。

日本語で考える力がある人は、どうしても発信力に強いものがない。
しかし外国語ができる人は日本語が壊れてしまっている場合が多い。
或いは、日本人としての交信能力が欠けている。
英語のジョークならうまいのかもしれない。