現代のロビンソンクルーソー

個々が資本主義のエートスを内在させて近代人として勤労に励めば、
ロビンソンクルーソーのような人間類型のように、
禁欲し楽しみは先に延ばし、工夫をして、記録を残し、節約を心がけ、
資本を蓄積し、ついには蓄積資本が利潤を生む段階にまで到達する。
そのような壮大な構想を持って仕事に打ち込める環境では、現在は、ない。
労働力の切り売りをしているだけで、将来の展望はない。
資本の蓄積はできない。
できたとしても教育費と住宅ローンでまず消える。
継続的な仕事・定職がもてたらまだいいほうで、
多くは不安定な臨時労働者でしかない。
技能の習得もできず、いつまでたっても無技能者である。
そのような人たちが働く場所は公共工事の工事現場である。
そうでなければ、一昔前に返って、軍部である。その前は、女工哀史である。


誰でもできるけれど、喜んでやる仕事、
これを人々の周囲にいつも置くことがどんなに大切か。
真面目に働きさえすれば、幸せになれるという希望。


昔なら、ドングリを見つけて集める技術がそれにあたったのだろう。
現代ではどうしても知的熟練ということになる。
その域に達しないものは、仕事が中国に行っているのだから、
中国に行って働けばいいのだが、そうもいかない。
そうならば、中国と同じ時給で働けばいい。
それしかない。それがグローバル化ということだ。


生産活動がそのレベルになってくれば、
消費活動も、100円ショップで済ませられるようになる。
イトーヨーカドーでも100円の商品をたくさん置いている。
それで何とか食べていかれる。


日本にいながらにして、
中国人的な収入で、中国人的な支出で、生きることが、求められている。
そうなれば、確実、中国の仕事を奪える。


高級日本は、中国なんかよりずっとすごいのだけれど、
低級日本は、中国に負けないくらい、低級なのだ。
中国の下請けになるくらいの気持ちの踏ん切りだ。


*****
まあ、そこまで言わなくてもいいけれど。
なんとかなるだろう。

要するに、適当な仕事があればみんな明るくなれるのにという単純なこと。

ロビンソンクルーソーは、孤島にたどり着いて、
とりあえず自分で食べていくために、なすべきことがあったし、
それがはっきりと見えていた。