国策としての映画

韓国映画で泣いて、
映画産業について考えた。

自動車産業は、製造産業自体が大きいし、ガソリンスタンドから、
免許行政から、道路整備まで、さらに音楽や道順案内まで、
とにかく裾野が広い。そして、トヨタがGMを抜いて、世界一だという。
アメリカに言わせれば、
計画通りだろう。それは未来産業ではない。
自分たちはつくる側ではなく使う側だと。
自動車を使って何をするかが問題なのだ。

しかし、もの自体がなくなって、コンテンツと金融だとしたら、
決めたことは守ってくれという強制力が必要になる。
だから、特許と金融と軍事産業、アメリカはこの方向だろう。

韓国が映画に力を入れているのは、
一つは外貨獲得があるのだろう。
巨大シネコンがすでにたくさんあるのだから、
何か映画はいつも必要で、
いつまでもハリウッドとヨーロッパだけではないだろう。
しかしまた、
文化に興味を持ってもらえれば、
食事、衣服、観光、大学の学部設置など、拡大してゆくだろう。
そして大きな目で見れば、
平和外交の基礎を築くだろう。

日本は国として、いつまでも、右翼宣伝映画などを国内向けに流していないで、
たとえば、平安貴族の文化と趣味を宣伝するようなものを作って、
観光客が増えたり、アメリカで日本語や日本文化を学ぶ人が増えたり、
日本語教師が引っ張りだこになったり、
ドナルド・キーンが再度脚光を浴びたり、
そんな未来がないものだろうか。

戦国武将ものや江戸時代ものはうまいと思うが、
その映画を観て、日本で何かを学びたいと思うだろうか。

日本映画をハリウッドがリメイクする話が進んでいるけれど、
まず予算をつけて、才能を育てて、計画的に発展させられるはずだと思う。
映画産業育成予算を選挙で公約したら、どうなんだろう。

子供たちがいい脚本を書こうと本気になったり、
いい演技をしようと昔の映画を学んだり、
表情や言葉に繊細になったり、
そんな未来はいいと思うが、どうだろう。