異常な地価

参考に採録

3、異常な地価
 前章では、日本の基礎的な生活費の高さについて考えてみた。日本の政策は、庶民の生活を豊かするというよりは、電力会社、ガス会社、あるいはダム建設を営んでいる人びとを保護しようとするものであった。
 そしてそれは、残念なことに、政治活動が理想的ではありえず、現実の交渉プロセスに依存して場当たり的に決められてしまうことの、いわば必然的な帰結なのである。この章では、日本の物価を押しなべて高いものとしているなかでも、よく知られている宅地の価格について考えてみよう。

そもそも日本の土地はなぜ高いのか
 2007年現在、景気の上昇基調を受けて、大都市圏では地価の上昇が起こっている。財務省の発表では、東京都区部の住宅地の1平方メートルあたりの平均価格は51万7500円、多摩全域平均では20万6200円である。もはや23区に新築住宅を構えることは、セレブでなくてはできないことは明らかだ。まず、多摩地区などに代表される東京近郊で住宅を購入する一般人について考えてみよう。
 建物として、4人の家族が暮らすための小さな100平方メートルの3LDKを考える。100平方メートルの家のために、建築規制を考えると、100平方メートルの土地が必要だとして、すでに2000万円を超えることになる。
 一人のサラリーマンの生涯所得は2億から3億といわれるため、この土地を買うだけで10%、建物が2000万だとすれば、20%の生涯所得が持ち家のために使われることになる。30年を超えるようなローンを支払うことを考えれば、この住居費の購入負担はおそらく30%から最大では40%になるかもしれない。
 実際、これが東京のような大都市に住む多くのサラリーマンの現状である。大阪はややましで、名古屋はさらにましだろうが、平均賃金も低いので、負担感としては同じようなものだろう。読者の周りにも、このようにして組んだローンの返済にあえいでいる方がいないだろうか。
 さて、国際的に比較してみよう。日本不動産鑑定士協会による世界地価等調査の結果を見ると、ニューヨーク郊外の住宅地と比較すると、東京の住宅地は、バブル期には100倍、現在でも50倍近くである。地価が高い都市だといわれるロンドンに比べても10倍になっている。
 実際、アメリカ人の常識感覚からすると、土地自体には価値などなくて、不動産というのは建物の価値を意味する。これに対して、日本の常識では、土地そのものが価値であり、住宅などの建物には価値がまったくないというものである。実際に、日本では建物のついていない更地のほうが、高い値段で取引されてきたのだ。
 このような状況に対して、日本はそもそも人口密度が高い国だから仕方がない、あるいは、日本は狭い国だから土地が高いのは当然だ、という意見がある。私も子どものころは、この手の説明を信じていたが、これはしかし、たちの悪い都市伝説である。
 なぜなら、商業地の価格やオフィスの賃貸料金を見ると、ニューヨークやロンドンと東京でも2倍というほどの違いはなく、上海や香港、シンガポールなどのアジアの都市では東京よりも高いほどだからである。
 明らかに住宅地に限っての、異常なまでに高い土地価格には日本独自の制度的な理由があるのだ。このことについて、特に以下に述べる借地借家法の問題などについては、学習院大学の岩田規久男をはじめとして、多くの経済学者が研究を続けてきた。
 経済学会内では、以下の指摘のほとんどが同意されているが、法学者その他の多くの人たちは無視し続けてきた。その当否について、ここで読者に判断していただきたい。

借地・借家法
 日本の地価の研究では、今では経済学者というよりも、『超整理法』をはじめとする『超○○法』の著者として有名となっている野口悠紀雄がいる。彼は1995年の『土地問題の強者と弱者』において、日本の住宅地価格が高止まりしているのは、借地・借家法の硬直的な運用と、相続税が土地に関してひじょうに低いためだと指摘する。
 ここでまず、借地・借家法の運用の問題について、簡単に説明しよう。
 日本が戦争に負けて東京が焼け野原になった後、地主から土地を借りてすんでいた借地者は社会的な弱者といえる存在であった。そのため、土地所有権者からの立ち退き要求がなされれば、路頭に迷ってしまうということで裁判所が極端に保護したのである。
 この点は民法の教科書では定番の話なので、法律に詳しい人はよく知っていることだろう。すでに日本民法の一部となっている借地・借家法では、所有者は「正当の事由」があれば、借地人に対して立ち退きを要求できることになっている。
 しかし、戦後の借地権者の保護政策から、この「正当事由」はきわめて限定的に解釈されるようになっていった。結局は、所有者が自ら住むという場合でさえも、正当事由には含まれないと判示するに至るのである。
 さらに戦後のインフレが進む中では、借地料に関しての訴訟事件も頻発することになった。ここでも、借地料についての判決はインフレが進む以前の賃貸料を基本的に維持する方向であったため、賃貸料金は、新規契約相場に比べてひじょうに低い水準にとどまってしまった。
 このような裁判は、確かに訴訟当事者に対する判決としては妥当だったのかもしれない。しかし、その経済的な代償は大きなものとなった。
 いかなる理由があっても借地契約を解除できず、その賃料がインフレによって相場の10分の1だとしよう。所有者の立場からすれば、これでは所有権はほとんど意味のないものになる。
 結果として、借地契約は新規には結ばれなくなった。借地契約は解除できず、しかも賃料も固定されてしまうのだ。そんな不利益な契約にサインするような土地所有者は、どこにもいないからである。
 反面、過去に借地契約を結んで借地人となった人たちは、その土地の実質的な支配権を手に入れるということになる。現在の土地取引の実務では、この借地権の価値は、地価の7割から8割を占めるということになっているのである。

固定資産税も相続税も
 地価が高いということは、それにかかってくる固定資産税が高いことを意味しているとしよう。これがもし仮に本当であれば、おそらく今ほどには宅地の価格は上がらなかっただろう。
 このことは逆説的なのだが、間違いないのである。固定資産税がひじょうに高ければ、昔から一等地に住んでいるが、所得に低い人たちにとっては、都心の宅地つき一戸建て住宅に住むことは、固定資産税負担から難しくなるからである。
 この場合、資産税を払いきれない低所得の居住者は、土地を処分して郊外に引っ越していくか、マンションに移住せざるを得ないだろう。結果として、都心の宅地は常に大量に供給され、需給バランスの関係から価格は低下するはずである。
 もちろん、こういった制度を採れば、地価は下がるだろうが、低所得の人びとは、都心の住宅を手放さざるをえないわけである。一見しては弱者イジメになるため、どの政党も固定資産税を上げようなどとはいわないのである。
 都心の宅地は、渋谷区などでは、すでに1平方メートルあたり200万近い価格になっている。例えば、これが1平方メートル150万円であるとしても、200平方メートルの土地の一戸建て住宅に住んでいる場合、すでに3億円の土地の上に住んでいることになる。
 これは大変な額である。大学卒のサラリーマンの平均的な生涯賃金が3億円に届かないわけだから、この土地に住むというのはとんでもない贅沢といえるのである。しかし、その固定資産税額はいくらなのだろうか。
 固定資産税は地方税である。固定資産税の評価額は実勢価格の8割になるため、三億円の土地では2億4千万円が課税額となる。税法上の本則では、その1.4%が固定資産税であるため、本来の固定資産税は336万円にもなる。建物にも一応固定資産税がかかるため、おそらくは約350万円の税負担になるわけである。
 これは、通常のサラリーマンには到底支払えない額だろう。したがって、この原則を貫けば、都心の宅地からは急速に通常のサラリーマンがいなくなり、当然に低所得者の高齢者もいなくなってゆくはずである。
 それに代わって、金持ちが引っ越してくることになるのだろうが、年間350万円の税金を払える人はそんなにはいないだろう。ということは、固定資産税が本則どおりに適応されれば、都心の宅地地価は、現在の価格よりも低い価格で取引されざるを得ないことになる。
 しかし、現実には、都心の宅地は200平方メートル3億円以上で取引されている。その理由は、固定資産税額が低すぎるために、土地を売ろうとする人が少なく、結果的に供給量が少ないからだ。供給量が少ないのに、東京には1億以上の年収を上げる人びとはゴロゴロといる。
 彼らは、土地の値段が3億円でも別にかまわないだろう。年に1億円以上を稼げるのであれば、3億円の土地を買うことに別に問題はない。これが、都心の宅地の新しい住人達は、すべて会社の社長であるか、あるいは芸能人などのセレブである理由なのである。
 では実際には、都心に住んでいる高齢者はいくらの固定資産税を支払っているのだろうか。本来の固定資産税は336万円だが、200平方メートル以下の小規模宅地については、その6分の1に課税額が減免されている。とすれば、56万円の固定資産税を支払っているということになるのである。
 もちろん、これはこれで少なくはない金額かもしれない。しかし3億円の土地に住むことに対しての税金だと考えるなら、いかにも小額だといわざるを得ない。56万円を年金から支出することは、多くの年金生活者にとってもそれほど難しいことではないだろう。
 こうして、都心の宅地には3億、4億の土地に住みながら、年収が年金の3百万円程度だけであるという「社会的弱者」が大量に暮らしているわけである。もちろん、彼らはその固定資産税が高すぎることに不満を感じており、政治家に「安心して暮らすこともできない」と発言することになるというわけなのである。
 次に、土地に対する相続税の実質税率もまた、同じようにひじょうに低いことを見てみよう。
 前述の野口悠紀雄の論文では、重要な指摘がなされている。首都圏で相続によって取得された土地つき一戸建ての場合、その住宅面積に関しては全住宅平均とはそれほどの差はないが、敷地面積は平均して280平方メートルであり、これは平均値の150平方メートルに比べておよそ2倍にもなっているのである。
 これは都心部でも同じで、23区内においても187平方メートルと平均値よりも50-60平方メートル大きくなっている。これは都心部にある住宅を相続した場合に、それなりの庭が付いているのだろう。
 では、例えば平方メートルあたり150万円の地価の土地を200平方メートル、つまり3億円相当を相続したとしよう。山手線の内側に200平方メートルの一戸建ては、すでに十分に立派な住まいである。ここで「富者には厳しい」はずの福祉国家で、相続税による是正は行われないのだろうか。
 土地に対する相続税は最高税率が70%ということになっているため、元首相であった田中角栄の邸宅の目白御殿などのように、都心部にある広大な敷地を相続する場合には、たしかにこれに近い税率がかかることもあるだろう。
 しかし、まずは評価額の制度によって、公示額の8割が課税額(路線価格)とされる。そして重要なのは、相続税法では、200平方メートルまでは「小規模宅地」であると認定されことだ。これよりも小さな宅地については、その課税額が20%になるのである。つまりは、3億円の公示額の16%である4800万円が課税額となってしまうのだ。
 ここから子ども1人が相続人であれば、5000万円の基礎控除プラス1000万円の6000万円が控除額となり、めでたく相続税はゼロになる。かくして東京に生まれた人は相続によってそれなりの生活、あるいは不労所得が約束されることになっているのである。
 なお前述したように、借地法の問題点が経済学者によって、長年の間あまりにもはっきりと指摘され続けたために、1992年には定期借地権が新設されることになった。これは、新たな借地契約には、50年を期限として、それ以降は所有者が契約を更新しないという契約を結ぶことを認めたという法律である。
 これを受けて、現在では定期借地権つき一戸建て住宅もまた、郊外の戸建希望のサラリーマンにとっては、住宅取得の新たなオプションとなってきたようである。しかし、そもそも50年は解除できないような契約を望む土地所有者は多くはない。土地の供給はかなりの郊外に、それも限られた量しかないのが現状である。
 しかし、この法律の一番の問題点は、過去に始まった借地契約に対しては有効ではないことである。よって、かつて締結された借地契約には効力が及ばず、新法以前の借地契約者は、土地の所有権価格の7割を持ち続けているのだ。
 東京都心部の住宅地の低度利用は、山手線を一周する間にも一目瞭然だ。本当に多くの低層住宅が存在することに、あまりにも明らかに現れているからである。これに対して、例えば、パリでは街区のすべてが高層のアパートであり、一戸建ては存在しない。これは150年前にナポレオン三世が多くの住人を無理やりに移住させて大改革を行ったからである。しかし、よく考えると、都心部に庭付きの2階建てなどという贅沢は、そもそも弱者保護という名に値しないことに異論をさしはさむ人がいるのだろうか。
 東京の都心部には相変わらずに保護され続ける一戸建てが存在し、過去からの住居権を優遇税制で保護されている。その一方で、ここ30年間の間に新たに都心部に移り住んだサラリーマンは、片道1時間半もの通勤時間を満員電車に揺られて会社に通い、その所得の3割もが住宅ローンの支払いに振り向けられているのである。

誰が被害者なのか
 さて、日本の住宅地の価格が高いことから被害を受けているのは誰だろうか。それは、東京などの都市に地方から移り住んだ人たちであり、典型的には、地方に生まれて東京の大学に進学して、そのまま東京で働き続けるサラリーマンだといえるだろう。
 もともと東京に生まれた人は、その親の世代以前から住居を持っているため、平均的にいえば、大きく得をしていることになるのである。東京に生まれ、年老いた両親が自宅を持っている場合を考えよう。生前からでも死後にでも、その住宅地にすむこともできるだろうし、あるいは土地を相続してから売れば、別の土地を買うことができるだろう。
 人口の減少が進む日本にあっても、首都圏の人口は微増し続けている。地方に生まれ、東京で働き始めた人は、東京で土地という相続財産をもっている人々に比べてひじょうに不利な立場に立たされているのである。まれには同じことが、東京に生まれ育ったが、親の世代からまったく財産を相続しない個人にも当てはまるだろう。
 これが借地・借家法の硬直的な解釈によって、司法が守ろうとした戦後まもなくの社会的弱者の保護の結果なのである。あるいは都心に200平方メートルの住宅を持つ「社会的弱者」を、高い相続税から守ろうとした立法の結果なのだ。
 あるいは、ここでは詳述しなかったが、都市部の農業保護の目的で、農地の税金を下げ、相続税を引き下げたことによって守ろうとした農家という社会的弱者保護の結果でもある。
 誰であれ、大きな経済価値をもつ財産上に住んでいる人間が弱者扱いされるというのは、とんでもなくおかしな発想である。しかし、このおかしな発想は税制度のなかに深く根付いてしまい、もはや既得権益となってしまった。どのような異常なことであっても、それが常識化するにつれて、政治的な話題にもならなくなり、もはやこの制度に異議を唱える人も少ないのはなぜなのだろうか。
 政府の強制する法制度が、地方からの移住者にとって住みにくい社会をつくりだしている。それは経済的に非効率なだけでなく、明らかに正義にも反しているのである。