累進課税

採録
5、日本の税制を見てみると
 一般に福祉国家では、累進課税が当然視されている。社会から多くの所得を得る人間には、それ相応の負担義務があると考えられているのだ。私は学校で、少なくても建前ではそのように習った記憶がある。
 さて、実際にわかりやすいところでは、年間十億を超える年俸を得ているレッドソックスの松坂やヤンキースの松井などは、最高税率近くを国税としてアメリカ合衆国政府に収めているだろう。日本人ではあっても、彼らの場合はアメリカに居住しているため、アメリカに納税義務が発生するのである。
 では、日本の累進税制において、最低枠である10%の国税に属する納税者は、日本では何%にあたるのだろうか。2007年3月11日付の朝日新聞の記事にあるように、これは日本人の81%にもなる。大多数の日本人が最低税率にあるというのは、日本がひじょうに累進性の弱い税制をとっていることを意味している。
 これは政府の税制調査会のレポートでも報告されているように、多様な控除が存在する結果である。結果、夫婦二人と子ども二人という家計では、年収が831万円まで上がっても、10%の税率に収まってしまうのである。
 超高額所得者の場合には、こういった控除額は相対的に小さくなるため、税率は確かに上がるだろう。しかし、年収の少ない一般人にとっては、このような各種の控除による税制のゆがみが、国民の大多数が最低税率という類例を見ない状況を作り出しているのである。

累進性のほとんどない税制度
 もともとは、日本の最低課税率の限度額は330万円となっており、これは高くはないのである。しかし、配偶者控除や扶養控除などの、各種の税制控除が重なり合って適用されるために最低限度が引きあがっているのだ。
 実のところ、この低い税率という事実は広く知られていて、別に驚くような事実でも何でもない。例えば、政府の税制調査会での2005年度の答申においても、

 「個人所得課税は・・・累次の減税により、諸控除の拡充のほか、税率の引下げやブラケットの拡大が行われた結果、わが国の個人所得課税については相当の負担軽減が行われてきた。国際比較で見ても、その財源調達機能が顕著に低下してきている。例えば、租税負担率(国民所得比ベース)で比較した場合、主要国が二桁の水準であるのと比べ、わが国はほぼその2分の1程度にとどまっている。特にドイツ、フランスといった間接税中心の国と比較しても、その負担水準が低くなっている。」
と、はっきりと断言されている。
 もっと具体的に、累進性についての経済学者の研究例をあげてみよう。
 一橋大学経済学大学院の田近栄治は、2002年の論文で、実際に3万3千人のミクロデータを使って、1997年時点での累進税率を計算している。ここでいう税には国税、地方税、社会保険料が含んだものだが、所得階層を10階層に分けてみると、最低の第1分位の平均が約67万円で、最高の第10分位の平均年収は約1200万円となる。
 結論的には、所得が最高位の集団に限っては、税率が高くなっている。しかし、第9分位までは下がっているのである。これをもっと平たくいえば、驚くべきことに第9分位までの所得階層では、所得が上がるにつれて税率が下がっているということなのだ。
 さて、第9分位の平均年収が750万円だから、日本では年収がおよそ1000万円以下の場合、実効税率は所得が上がるにつれて下がっているわけである。これは例えば、消費税などの間接税は所得ではなく、消費にかかるために、収入を消費にまわす割合の高い低所得者層に、より大きな負担がかかっているためだろう。また、社会保障税についても、特に自営業の場合には金額が一律に月額1万3千円程度であるため、所得が低ければ課税率が上がるのである。
 このような累進性の低さはまた、高所得の男性のほうが配偶者を主婦として早くから得ており、控除によって納税を逃れているという現実にも起因している。このような傾向は、『希望格差社会』で「格差問題」を論じ始めた東京学芸大学の山田昌弘によっても確認されている。
 この点に関しても、ほとんどの経済学者は、配偶者控除という制度によって主婦が増え、女性の労働市場への不参加につながっているとして、制度そのものに反対している。またフェミニストも、このような制度は働く女性に対して不利な税制度であるとして非難している。私も、これはまったくその通りの悪しき制度だと感じる。
 しかし、税制を作り出したのは、官僚の起案ではあっても、それを可決した国会、その議員を前出してきた有権者である日本人自身なのだ。これはまさに「民主的な」税制なのである。
 余談になるが、多くの場合、税の研究では、社会保障費についても「社会保障税」や「年金税」として扱われるのが普通である。これは、多くの社会保障費用が、政治的な決定による税金と同じく、任意支払いではないことや、交付される社会保障そのものも税金から大きな補填を受けていることが普通だからである。
 この意味では、NHKの受信料は、それこそ高い逆進性をもつ税金である。実際には、支払っていない家庭も多いとはいえ、低所得の一人住まいからも、高所得の6人家族からも、年間3万円近い受信料を同じように取るのだ。NHKの受信料は、それだけでネットの接続料金と同じくらいに高額なものになっているのである。
 NHKの番組の主な視聴者は、放送内容からしても間違いなく低所得の若年層ではあり得ない。NHKなどという組織は即刻、完全な報道だけの放送内容に変えるか、民営化するべきだ。それでも、これだけネットが発達した現在、スクランブルをかけて受益者負担にでもしなければ、その意義と受信料の高さは、あまりに常識を超えた悪税としか呼びようがないだろう。

高級官僚にやさしい退職金優遇制度
 福祉国家主義に関連して主張されるように、国家は所得階層の低い人びとを優遇するべきであるとしよう。すると、ほとんど定義によって、低所得者層からはなるべく税金を集めるべきではないということになる。反対に高額所得者からはより多くの税を徴収するべきだということになるはずである。しかし、例えば、現実の退職金への課税の減免制度はそうなっていないのである。
 低所得者の多くは、一生涯同じ会社に勤めているということはあまりないだろう。大企業や官庁に比べて、賃金の低い中小企業に勤めているほうが、企業の倒産確率も高いからである。とすれば、退職金に対して税金を控除するというのは、そもそも制度化された退職金制度を持つ程度の、比較的安定的な職場に長い間勤めていることが、その優遇制度の活用の前提になる。
 そうだとすれば、退職金についての税制優遇はある程度の所得のあったサラリーマンに対する、さらなる優遇措置であり、もっとも低賃金に甘んじてきたような人びとへの優遇策でないということは明らかとなる。
 実際、退職金の税金控除は大きなものである。勤続20年までは、1年につき40万円、さらに20年以上40年までは、1年当たり70万円の控除がある。計算すると、勤続40年の労働者の場合、2200万円が控除の対象となる。40年間も同じ場所に勤務し続けることができるのは、主に大企業や官庁であることはいうまでもないだろう。
 この意味では、最大2200万円の控除額というのは、そもそもはサラリーマンや地方公務員などといった手堅い有権者層をねらった政策であったのだろう。拡大成長を続けてきた日本の組織に勤めていた多くのサラリーマンには、いくばくかの退職金が出たのが過去の現実だからである。
 しかし退職金という制度が広がったために、そのような仕組みに税制優遇を与えてしまうと、ますますそのような制度が税制上も有利になってしまうのである。退職金制度の存在のために転職者は経済的に不利になり、本来は経済的に転職するべきときでさえも転職をしなくなってしまう。結果、経済全体は効率性をどれだけか落としてしまい、誰もが少しずつ貧しくなってしまう。
 日本では、終身雇用が前提であったのだから、これは国民全体を保護しているのだと考える人もいるかもしれない。しかし、これは我われ日本人のもつ神話である。日本的雇用の研究者として有名な小池和男の研究でも、1980年代の最盛期においてさえ、終身雇用の恩恵を受けていたのは労働者の3分の1でしかないのである。
 低賃金の作業をするような被雇用者の多くにとっては、退職金などは大きな額にはならなかったし、現在もなっていないのである。もちろん、自営業である農林水産業や商店主には関係のない制度である。退職金優遇税制とは、政治的なマジョリティを占める安定したサラリーマンの利益を守り、低所得層を踏みつけにする制度なのである。
 このことは、サラリーマンの内部格差においても当てはまっている。退職金の算定実務では、最終基本給に勤続年数がかけられることで、金額が決まるのが普通である。これは、会社で出世した人間には大きな金額となるが、万年平社員であれば小額にとどまることになるからだ。
 結局、退職金の制度や、さらにそれを税制で優遇するというのは、社会の成功者を過剰に遇するものだと結論できるだろう。民主主義の税制控除とは、こういった強者への大きな配分の抜け穴になっているのだ。
 しかし、話はこれにとどまらない。終身雇用の典型としての保護を受けている高級官僚には、2200万円どころではなく、数千万から数億の退職金が出る。これに対しては、2200万円を引いた残りが全部課税されるのではなく、退職金に限っては、残りの金額は半額として計上される仕組みになっている。2200万を超えて退職金をもらうような高給取りが、なぜさらに優遇される必要があるのか理解できるのは、おそらく財務省の官僚だけだろう。
 さらにダメ押しがある。この2200万超の半額課税は、給与所得とは別の分離課税が許されているのだ。これはつまり、別に給与が何千万円か出ていても、それとは全く別に退職金から2200万を引いて、その半分に課税されるという制度で、所得税による累進課税をさけているのだ。
 これは驚きである。ここまでの退職金優遇というのは、中央の特権官僚のためにつくられた暗黒制度だと考えるのは私だけではないだろう。退職金もほとんど出ないような民間の多くのサラリーマンと比べて、数千万から数億の退職金の税金を、控除枠の拡大によって大きく下げる高給官僚への優遇政策が炸裂しているのだ。
 これはまた、多くの高級官僚が、退職後に多くの公団の総裁などを数年おきに転職し、給与に比べてはるかに莫大な退職金を何度ももらうための制度ともいえるだろう。よく知られているように、このような官僚OBは「渡り鳥官僚」と称されている。
 庶民には関係のないこういったシステムが、高級官僚や都道府県知事などのために節税目的に存在している。都道府県知事は一期勤めるたびに退職金が出て、兵庫・千葉・長野・福岡などではその額は2007年現在、5千万円をこえている。なぜ前述のような制度が用意されたかがおわかりになるだろう。
 官僚のほうはどうだろうか。繰り返しになるが、2000年に総理府の調査から、国家公務員から省庁所管の公益法人へ役員として天下った人たちを見てみよう。天下り先を退職する際に3000万円を超える退職金を受け取っていいた者は、過去10年でのべ200人に上ることが明らかになっている。
 調査対象となった公益法人は6878で、10年間に3776人の天下りを受け入れ、そのうち複数の公益法人を渡り歩く「渡り鳥官僚」は442人で197人が移動ごとに退職金を受け取っている。退職金が3000万を超えるのは200人、5000万円を超えるのも47人であった。
 天下りを受け入れた公益法人には、事業や補助金や「おいしい仕事」が舞い込んでくることになっている。とすれば、特殊法人やその下請け会社にとっては、天下り官僚の給料や退職金は営業経費であって、数千万の給与も当然だということなのだろう。
 公益法人をつくるのは、所轄の官僚である。「公益」などというものがほんとうにあるのなら、それは一般の参加可能なオープンな市場か、あるいはボランティアな組織によってのみ追求されるものだろう。現在のいわゆる法律で守られた公益法人が追及しているのは、官僚集団あるいは省庁の組織的な利益なのだ。

現行の年金制度
 年金制度もまた、弱者に厳しい制度である。厚生労働省の2004年の調査によると、年金額の平均は地方公務員が23,3万円、国家公務員が22,5万円、サラリーマンなどの厚生年金受給者が17,1万円、国民年金では5,9万円である。
 もちろん、国民年金は現役時代に納付している額が低いので、こういった金額自体が直接的に弱者保護に反するというわけではない。しかし、生活保護を受けている世帯でも、月額およそ8万円の支給を受けているのである。それに対して、25年もの長期間にわたって国民年金のために年金費を支払ってきた人たちに対する支給額が5,9万円なのだ。これはあまりにも低い金額だという批判はまぬかれない。
 実際に、現代の日本国内で、年間71万円で暮らしていくことができるだろうか。これは、家賃を考えれば、ほとんど限界的だろう。これに対する私の考えは至極単純なもので、年金制度はすべて廃止して、一元的に生活保護で国民をカバーするべきだというものである。
 より詳しくは、負の所得税の説明の部分で詳述しよう。しかし、これによって社会保険庁などという無駄な役人組織もいらなくなることは重要である。また、完全に税金で生活保護をするため、将来の給付金も未確定なままに、形式的な年金支払いをする必要もなくなるだろう。これは、人びとの不安を解消するだけでも、たいへんに有意義である。
 年金制度は、すでに道徳的にも会計的にも破産している。これだけ高齢化が進んだ現在、人生80年に備えて現役時代に貯蓄をするのは、人間として当然だろう。また、共済年金や厚生年金などに入るような人たちは、ある程度は自分で貯蓄を管理できるはずだ。
 本当の弱者はほとんどが、国民年金の加入者だろう。彼らに対しても、年金などという形式的な言葉を使って政治的な偽善を続けるよりも、生活保護と一体化した救済策を用意したほうがすっきりとするはずだ。現在の複雑な社会保険制度は、社会保険庁、年金福祉事業団などの、厚生労働省の天下り機関を焼け太りさせ、天下り官僚の天国をつくり出しているだけである。
 預かり資産の運用効率も悪く、おまけに役人が高額の給料をもらい、トップは天下り官僚だというのでは、弱者保護の理念の正反対である。我われは社会全体でたいへんな無駄なことをしている。役人天国のための制度はすべて廃止して、生活保護に一元化して、それを負の所得税として支払ったほうが、はるかに能率もよく弱者保護にも資するのだ。
 日本の現在の税制は、公平でもなければ、簡素でもなく、累進性もないという、まさに政治的妥協と惰性の異形の産物なのである。