赤提灯タクシー

わが国のエリート層の一翼をになうといわれてきた
霞ヶ関のお役人が
電話でタクシーを呼ぶと、お酒とおつまみと金券を用意してもらえるのだというので、
マスコミが騒いでいる。

一人最高で一年に500万円のタクシー代という人もいるそうで、
200日の勤務のうち190日はタクシーで深夜に帰宅し、
一回当たり26000円のタクシー代になるそうだ。
そのご指名が欲しいので、
過剰サービスをしていたということで、
当たり前でしょうというような声もあるらしい。

考えてみれば、優秀な人たちの就職先として、
弁護士も公務員も嫌われて、
外資系金融にという噂は、やはり一部本当らしい。

小泉時代の竹中氏の活躍は印象的だった。
財務省の中でいい子にしていても、
竹中さんにやりたい放題やられてしまうなら、
一体なんだということになる。

必要なキャリアは、アメリカの金融会社での勤務ではないか。
そのままアメリカ的経営陣に残れればそれでいいし、残れなかったら、
竹中さんみたいにしてもいいし、
どこかの学校の先生に納まってもいい。

昔は国家財政の基本設計が即ち国家の設計であった。
しかし最近はそうでもないらしい。

自分のお金ではないから使うのだといわれるが
自分のお金でその程度を使う人はたくさんいるし、
とくに極悪非道というものでもないような気がする。
もちろん公金であるから、使い方には厳しいルールがあるべきはずで、
それをこのように使っていたのはいかにもまずいのだが。

しかしそのまずさの加減が貧しすぎて、
絶望的になるのだ。
まったくエリート的ではない。

ジェット機で通勤して姫路城に住んでいたとか、
もうすこし豪快な話が聞きたいものだ。
(そういえば、バイオリンのムターの演奏会のコマーシャルが新聞に出ていて、
いまだに「カラヤン」に気に入られたなんていうことが書いてあるので、あきれた。
ムターがだらしないのだろうが、ジェット機を乗り回して遊んでいたカラヤンの
オーラがいまだに商売になるらしい。)

エリートというものは悪いことができないようにできているものだ。
給料は年をとればやっと上がる。
天下りしてようやくおいしい部分にたどり着ける。
それも、実際は敗北の代償である。

勤め上げて、年金をもらうまで、尽くす、そこではじめて、
公務員になってよかったと実感することになる。
実にうまく出来た制度である。
やる気を最大限に引き出す。

なにか不祥事が起これば、
組織としては防ぐが、
個人としては、死んで償ってくれということにもなる。
自殺または統計に出ない自殺、多くは心筋梗塞、が多いのはそんなせいだろう。
お互いに厳しく見張っているのである。

実際のお金については、困るようなクラスの人たちではないから、
問題はない。
困るようなクラスなら、違う進路を考えるだろう。

しかしそのプロセスで、若いうちに厳しく働かされるので、
世間の常識を学び損ねることもある。

エリートというものは特殊な義務感に縛られるもので、
そしてそれが快感であると感じるような種族である。
あからさまに、俺は金の方がいいとか、俺はいい家に住みたいとか、
そんな事を考えている初歩的な成り上がり志向なら、エリートとはいえないのだ。
その人たちはなりあがりコースでいい。
いろんな人がいるではないか。
ライブドアの人、村上ファンド、コムスン会長。

実際、毎晩のタクシー代くらい実家で出せないような家は少ないと思う。
子供時代にはずっと塾の送迎をしていたはずだ。

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いや、そんなことではない。
結局、これも目くらましだろうということだ。
実のない大騒ぎのような気がする。

このことで直接有力政治家の名前が挙がって、
首を取れるのなら、大いに意味がある。
しかしそんな問題でもないのだから、
報道機関としては、きちんと騒ぐけれど、新聞一面ではないはずだろう。
忘れない注意は必要だろうが。

この種の問題は、
大きく騒ぐのではなくて長く騒ぐということが大切なのだろうと思う。

中国では地震がチベットを飲み込んでしまったが、
報道の特性として、新しい問題に食いついていく習性はあり、
その一日前のことは忘れる傾向がある。
記憶容量は小さい。

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役人がタクシーに乗れば、そこから現金が回りだすのだから、それでもいいような気もする。

悪いのは、米を買い占めて、売り惜しみをする「越後屋」である。
最近の空前の穀物相場で、
儲けるのが農家で、来年の設備投資が積極的に出来るのならとてもいいことだし、
何と言っても食事の安全にはお金をかけたいという人も多いものだ。
それなのに、農家が儲けるのではなくて、中間問屋が儲けるだけのようだ。

確かに問屋というものは純粋商売人だから、
ずいぶんぎりぎりの交渉もするものだろう。

それにしても、穀物値段が上がって、
農家にやる気がみなぎってきているという話にならないのが残念なことだ。

穀物にしても原油にしても、
利用者がいっせいにストライキでもして、
しばらくは使用料を少なくするという強攻策に出たらどうだろう。
在庫を抱えて倉庫代に困り、金融相場に左右されない新しい取引経路でも出来ないものだろうか。
よく知らないが。

長期的に一番いい作戦はやはり穀物輸入にも原油輸入にも依存しない
強い仕組みを作ることだろう。

売り惜しみをされても困らないくらい金持ちか、
別の生活スタイルでもいいとさっさと変更できるとか。

テレビで資源回収社会とかCO2排出規制問題、リサイクル、エコとさかんである。
いいことだ。

主婦が出来るエコの努力はたいしたことはないかもしれない。
無駄かもしれない。
たとえば、牛乳パックや魚のトレイをきれいに洗って分別して回収するが、
どれだけの意味があるのだろうと聞かれる。
洗うために使う水と洗剤。

究極としては何もしないのがいいし、
人類を少なくしろという命題が透けて見えている。
少子化を驀進している日本に実際優等生である。

地球に住む人が全員アメリカ人並みのエネルギー消費量ならば
限定何人、
全員現在のケニアの周辺地レベルなら限定何人、
と大雑把に見当がつくだろう。

自然の自浄作用の範囲を超えて人間が活動している。
その場合、自分が我慢するのか、他人が我慢するのか、
二つ道があることになる。
自分が我慢をしているのに相手が我慢をしないとすれば
どうするか。

現時点で、中国やインドが新しい発電所を作ったり工場を作ったりするときに、
とりあえず安く作ろうと思ってしまうと、
今後長い間その施設が環境を汚染し続ける。
日本に黄砂が飛んできたり、いろいろな被害も生じる。
それくらいなら、最初から技術と資本を援助して、
環境に負担の少ないものを作ってもらいたいと思うのだが、
中国としてはどの程度の発展段階と自分を考えているか
その問題もある。

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遠い事を考えると、温暖化よりも、むしろ、
氷河期に備えようとの問題もあるらしい。