フィリピンの腎臓売買

フィリピンの腎臓売買についてNHKが伝えていた。

解説者は、金持ちばかりが長生きしたり、生きる権利を持っていたり、貧乏な人は生命の尊厳を傷つけられたり、そんなことでいいのか、といったような感じのことをいっていたが、話はよく分かるとしても、なかなか難しいところだ。

金持ちの中にも、よく働いて、なるほどこういう人ならば少しは幸福になってもよかろうという人もいる。
相続した人もいるが、親または先祖が立派だったから幸せになれるというのは、理由になるようでならないようで難しいところだ。

金持ちの中には、立派でなかったから金持ちになれたという人もいて、その場合は、本人であれ、先祖の話であれ、問題なのだが。

別のインタビューに答えていた人の言葉によれば、フィリピンの腎臓売買の場合、外国人に売った方が手数料を高く取れるから、どうしてもそっちを優先する、資本主義だからね、という。
(このばあいは資本主義とはいわないだろうと思うが、まあ、命に関わることでさえも、もうかる方に行くということを言いたいらしい。自由主義的と言った方が近いかもしれない)
それもなかなか難しいところだ。

こうした問題の場合、どこまで根本にさかのぼったらいいのか、難しいこともある。

キリスト教ファンダメンタリストからむき出しの自由主義者のまでが存在して、現状はその中間を漂っている、そんな状態で、そのときどきに応じて、幅を持って対応しているというところだろう。
若い人にはそのような無原則な態度が気に入らないだろう、多分。

一方で、病気腎移植の問題もあり、簡単に結論は出せないだろう。