納豆もココアも赤ワインも

今回は納豆だったけれど
前はココアで
いつかは赤ワインだった

ココアの時には知り合いのご婦人がココアの良さを宣伝していた
私に!

そんなとき熱を冷ましてやった方がいいのだろうか
それが親切だ
しかしそれは嫌われるのだ

たとえば映画タイタニックのとき
あるご婦人は興奮して海の中のシーンがすごかったと言い
わたしはついついあの映画はCGというもので作っているので
特に水の中で撮影しているのではないのだと説明してしまった
そして軽く嫌われた

その人の認識が間違っていたとしてもどうでもいいことじゃないか
その人に私が嫌われないこと
それだけが大切だ

それにしても人間は学習しない
相変わらず根拠のない情報に振り回されている
なぜか
人の知能はさして変わらないからである
知能指数という言い方があるように、
人間は少しずつ賢くはなるけれど、
それは年齢との関係で見れば、一定である。
だから指数として表現され、
知能指数は年をとって伸びるものではない。
ということは、学習のできない人はいつまで経っても学習はできないわけで、
それはもう運命なのだ。

知能指数を伸ばす専門化もいるけれど、
それはおかしいのだ。
1.
知能指数は年齢に関わらないその人の知的能力のことである。その人に備わった能力のことで、それは訓練で向上するようなものではない。むしろ、訓練で向上しない、一定で基本的な部分を、知能指数として測定したいのだ。
2.
しかし知能指数を伸ばす教育と言われる。うっかり信じる。
その実体は、「知能指数測定テストを丸暗記させる」のである。
そうすれば、表面的には知能指数は高得点になる。
しかしそれは反射的に正解を言えるようにしているだけで、
知能とはあまり関係がない。
むしろ、意味のないことを受け入れて従うという、
忍従の精神の程度を測定していることになるだろう。

それはそうとして、結局、
ココアがいいのよ!
と説教して歩いているご婦人には私は何も言わない。
よく考えると、やんわりと、考えるヒントくらい与えるべきだと思うのだけれど、
無理と諦めて、その人が愚かなままでいることに、目をつむって放置している。
愛のない話であり、心が死んでいる話である。