教養のある国 思いやりの国

細川夫人インタビューより

 細川は首相に就任した際、「どのような国を目指していくの」と問われると、「教養のある国」と答えました。さらに「教養とは」と聞かれると、「思いやりです」と語りました。思いやりは、人々の心を豊かにするものです。心が豊かになれば、夢や希望を持つことができます。

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税制論議を聞いていて思ったのは
思いやりと対極のものだった。

金持ちはどうせやりたいほう題しているだろう。

貧乏人はどうせ働かないで遊んでいるだろう。

お互いそのように決めているから
思いやりなど持ちようもない。

そんな中で、利益の社会還元などと言われても、所得の再分配といわれても、
すぐには納得できないだろう。

単に偶然でお金持ちになった人が日本にどれだけいるだろうか。
道でお金を拾って大金持ちになった人ならば社会還元してもいいだろう。
しかしそうではない。ぎりぎりまで工夫して、やっと成功したのだと考えると、
単純な社会還元は難しい。

しかし立場を変えて、金持ちがその金をどう使うのかを考えれば、
すべてを再び会社につぎ込むよりは、
ほどほどにしておいて、
社会事業に乗り出す、これはいいことだろうと思う。

貧乏になった人にもいろいろな経緯があるわけだし、
だらしないといっても、その内訳は性格が精神病の領域のものであったり、
アルコールなどのせいだったり、
貧乏になるのもまた理由がある。
たとえばパチンコ。
そうした場合、アルコールメーカーやパチンコ屋には社会的責任はあるのかどうかという問題になる。

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教養のある思いやりの国になれば、
所得の再分配をしても、
何も心理的抵抗はないのだろうと思う。

むしろうれしいだろうと思う。
役に立つことはうれしいことだ。

しかしそうでない場合。
教養なく思いやりのない場合、
税金で取られたお金がどのように使われているか、
考えるだけで腹が立つということになる。

そのように
醜く分断されているのはなぜなのだろう。