パキスタンとコソボの踊り 日本の踊り

パキスタンで選挙があり、ブット派が勝利。
人々は踊りを踊っている。

先日コソボで独立の宣言をした日にも、
人々は踊っていた。

日本で、選挙のときに踊ったりするのは、
沖縄で見たことがあるだけで、
あとは踊ったりしないと思う。

感情発露の経路が違うのだろう。

踊ることのほうが、人類にとって普遍的なような気がする。
アメリカでは、選挙で勝っても、ダンスしていなかったような気がする。
いろんな人たちがいるので、むしろ、踊って、
共通快感回路で喜べばいいのにと思うが。

*****
ストレスに対する反応として、
代表は、うつ状態であるが、
頭痛であったり、胃炎であったり、下痢であったりする。
また、妄想が始まる人もいる。

こうした反応経路も、多分、地域・時代・民族にある程度特有なものなのだろう。

*****
バブルの終り頃、折口氏が企画したジュリアナ東京があった。
そのあと、パラパラという踊りがあった。

調べてみると、
ディスコ・マハラジャに代表される六本木ディスコでの第一次ユーロ(パラパラ)ブーム期(1980年代後半)。
バブル絶頂期、時代の最先端であり、一見客には極めて入りづらかった「芝浦ゴールド」(1989年開店)。
ジュリアナ東京はそのあとで、大衆路線。
大衆路線により、これまでとは違った客層が増え、純粋なダンスフリークやリスナー、上客であったモデルや常連などの足が遠のいた上、一見の初心者がリピートしないことにより、次第に収益が悪化していった。


ディスコは興味本位ではなく「ダンスが好きだ」、「曲が好きだ」、「知り合いと騒ぎたい」、「雰囲気が好きだ」、「目立ちたい」等、遊びなれた自分なりにポリシーを持った人間の集まる場所であったのに対し、ジュリアナの時期になると、単に「肌を露出した女性が多い」かのような報道により、下心を抱いた男性や、勘違いした地方出身の女性などが集まって雰囲気が壊れ、荒廃していった。
ボディコン姿の女性たちが最寄り駅であるJR田町駅からジュリアナ東京まで徒歩で赴く、という光景も極めて庶民的・ポストバブル的であった。
とまあ、こんな風に解説にある。

個人的には、
ディスコ・マハラジャには行ったことがあるが、
そのあとは日本にいなかったので分からない。
ジュリアナの音楽もビデオも見るが、それはバブル期の象徴的な姿と思っていた。
解説によれば、そうではなく、バブルが終わったあと、
バブルのように振舞いたいという大衆が集まったとのこと。
知らなかった。

*****
大衆化により、上客を逃がしてしまい、
初心者や見物組みはリピーターにならないので、収益が落ちるという構図は、
どの商売でも考えなければならない要素である。

初心者の中に、次の時代の上客やリピーターがいるので、難しい。
大衆用と、玄人用を分離して、誘導するのも、方法だと思う。
雑誌、水商売、ホテル、レストランなど。
カード業界で、プラチナとかブラックとかいうのは、そんな感覚なのかもしれない。

ブランドは、そこの微妙なバランスが大切だ。
大衆化しすぎてもいけないし、
あまりに秘密であってもいけない。
露出していながら、隠す、これがブランドだ。

誰でも見られる雑誌に、
隠れ家レストランや隠れ家旅館が載っていたら、
おかしいよね。

逆に、マスコミを拒否することで、味やサービスとは別に、
興味を惹く作戦もあり、いろいろである。

わたしは職場と自宅しか知らないので、なんともよく分からない。
仕事と睡眠のほかに、わたしの人生はない。
わたしは無駄がきらいだ。