社会的強者は差別する

Aは差別する

差別されたBは怒る

AはBが怒っているから差別されるのだと説教する

Bはそんな説教はするなと怒る

AはやはりBは怒りっぽいと説教する。差別されるのも、Bに理由があると断定する。

Bは放っておいてくれと怒る

AはがBひねくれていると説教する

Bは無言で去る

Aは追いかけて説教する

Bはやっと相手の精神異常に気付く

Aは裁判を起こす

Bはノイローゼになる

Aは裁判で無意味な非難を繰り返す。冷酷で執拗で、相手だけでなく、自分をも貶めることである。人間全体に対する不信が明らかになる。

Bは辟易するが裁判だから付き合わざるを得ない

AはBをつき合わせて時間をとらせることに生きがいを感じる。裁判でしか、人と交流できない。

Bは心底いやになる

Aは自分の存在をかけてBにまとわりつく。それしかできないのでそれしかしない。いやでもいいから関係していたい。

Bはすべてがどうでもよくなる

Aは幸せになる。病的幸せ。

Bはそんな人に付きまとわれた人生を回顧して、人生論を書く。わずかに報われる。
Aの持つ、嫌われてもいいから、関係をしていたいという欲望にやっと気付く。
人に好かれたとい思わない種族がいるのだと初めて気付く。
傲慢で、お世辞を事実の陳述と実際に思っているらしいと気付く。
他のみんなはわたしに感謝すべきだと語るのを聞く。
ますます怖くなる。
診断もつき、対策も、早く離れることだと結論するが、現実は難しい。

AはますますBに否定的に関与する。いじめる。

Bはいじめるなと怒る。

AはBが怒っているのは未熟だと説教する。

以下何度も繰り返し。悪循環で一生が終わる。
言葉で言うなら、「不運」。