好きになれなきゃ殺す、人間ってそんなものか?小田島 雄志

VI 好きになれなきゃ殺す、人間ってそんなものか?
  憎けりゃ殺したくなる、人間ってそんなもんだろう?
              (ヴェニスの商人 四幕一場66行)
  Bassanio:Do all men kill the things they do not love?
Shylock:Hates any man the thing he would not kill?

 これは『ヴェニスの商人』の法廷の場でのバッサーニオの言葉です。ヴェニスの商人はアントーニオという立派な人のことをいいます。このバッサーニオはポーシャという女に惚れて、求婚旅行に行く費用がないために、金を借りたいと親友のアントーニオに申し出ます。アントーニオが、今自分は海外貿易に全部投資していて、手元に金がないので、金貸しシャイロックから金を借りる証人になると言い、その金でバッサーニオはポーシャに求婚し、見事成功します。
 ところがその間に、アントーニオの投資した船が全部沈んだ。実際は助かったのですが。で、裁判になり、シャイロックが胸の肉一ポンド、証文通り受け取りたいと言い出す。そこで、バッサーニオはポーシャという大金持ちの娘と結婚したわけで、金を持って、三千ダカットを二倍でも、三倍にしてでも返すと言う。しかしシャイロックは受け付けないと言う。どうしてだと言ったら、要するに、自分はアントーニオという男が嫌いなんだと言うので、バッサーニオがここで野次を飛ばすわけです。「好きになれなきゃ殺す、人間ってそんなものか?」そんなものじゃないだろう。
 このバッサーニオの説に、僕ももちろん大賛成ですね。好きになれなきゃ殺すと言っていたら、地上の人類はもう五分間で全滅でしょうね。やはり好きになれなきゃ殺す、人間ってそんなもんじゃないだろうというバッサーニオの言葉に、僕は全面的に賛成します。すると、シャイロックは答えます。「憎けりゃ殺したくなる、人間ってそんなものだろう?」
 言われてみますと、そうですよね。やはり僕も殺したい人、三人くらいはいますね。最初は、谷口千吉という東宝の映画監督です。彼の初監督作品が『銀嶺の果て』という三船敏郎のデビュー作で、その中の信州娘の役に若山セツ子という女優が出ていまして、かわいくてね。「そうずら」なんて言って、僕は大学生の頃、もう夢中になって惚れていたら、監督が彼女と結婚してしまった。ここまではまだ許せます。僕にはまだもう一人好きな女優がいたから。当時宝塚花組娘役トップスター瞳ちゃんこと八千草薫、これにも惚れていましたら、谷口千吉はすぐ若山セツ子と別れて、八千草と再婚します。両方とるなよというので、僕は新宿西口で焼酎を飲みながら泣いた記憶がある。一人殺していいと言われれば、谷口千吉を殺すと言いました。僕は、実際彼に会ったことはありませんが、聞くところによると谷口千吉は本当にいい人らしいです。
 それは別として、憎けりゃ殺したくなるという気持ちは人間にはありますね。相対的な目というのか、シェイクスピアは絶対に断定しません。性善説とか、性悪説とかとは決して言わない。常に相対的にいろいろな立場から物を見ています。これは、とらわれないで一歩引いて見ているから言えるんだと思います。
 人間には真善美を尊ぶ気持ちというのはもちろんありますが、その逆の要素もあります。だから泥棒にも三分の理屈という日本のことわざなどは確かに真実をついています。百対ゼロじゃなくて、やはり七○対三○くらいで、善もあれば悪もあるというのは、普通の人間の姿かもしれない。憎けりゃ殺したくなるという気持ちも、誰の心にでもあるかもしれないと思えてきます。

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「相対的な目というのか、シェイクスピアは絶対に断定しません。性善説とか、性悪説とかとは決して言わない。常に相対的にいろいろな立場から物を見ています。これは、とらわれないで一歩引いて見ているから言えるんだと思います。
 人間には真善美を尊ぶ気持ちというのはもちろんありますが、その逆の要素もあります。だから泥棒にも三分の理屈という日本のことわざなどは確かに真実をついています。百対ゼロじゃなくて、やはり七○対三○くらいで、善もあれば悪もあるというのは、普通の人間の姿かもしれない。」
善悪も状況を考え、あるいは状況を変えれば、変わってしまう。それが人間の世の中だ。

ということは、善悪の硬直した判断よりも、
状況判断だということになる。

状況意味失認が統合失調症の始まりの本質だという議論があるのだが、
そのくらい状況判断は大切である。

野球でも、「野球センス」と呼ばれるものがあり、
瞬発力や動体視力とかの他の要素で、
今自分はどこに守ればいいかとか
瞬間の判断としてどこにボールを投げればいいかとか
状況判断の力を言うらしい。

外野の肩がよくても、二塁に投げるか、三塁に投げるか、ホームに投げるか、
瞬間の判断が問われているので、
状況が分かっていないと変なところに投げるのだが、
一応ホームに投げておけば、文句は言われないだろうということで、
キャッチャーをめがけて投げるようだ。

「野球センス」の悪さは、相手の「野球センス」のよさでもあるので、
テレビではそのように映しているようだ。

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何が善か悪かを考えるのが倫理学であるが
それは状況によりかなり違うというのが「状況倫理学」といわれる分野である。

お医者さんの仕事でも、治療選択とか、病名告知とか、延命治療とか、
倫理に関わる場面も多く、
その場面で、キリスト教的倫理で押しても日本では合わないし、
やはり柔軟な状況判断が求められる。

患者さん・家族さんにはふさわしい伝え方というものがあるだろう。
その判断である。
ガンだからガン、3ヶ月だから3ヶ月、
見込みはないし次の人が待っているので呼吸器ははずします、
そんな人はいないが、たとえて言えば、そんな話だ。

お医者さんにわざわざ嫌われるよりも、好かれた方が得だと思うが、どうだろうか。