PLAYBOY INTERVIEW WITH AYN RAND

PLAYBOY INTERVIEW WITH AYN RAND
March,1964
1964 年3 月 プレイボーイ誌に掲載
P : PLAYBOY 誌のインタビュアー/アルビン トフラー
Rand : アイン ランド

P: ミスランド、あなたのエッセイや小説、特に、今、あなたの論争のまと
となっているベストセラーの「Atlas  Shrugged」などは、とても注意深く
設計された、内部的に首尾一貫した世界観を提示していると思います。それ
らは、実際達成的な哲学的なシステムの表現です。あなたは、この新しい哲
学でなにをなし遂げようとしているのでしょうか?
Rand: 私は人々に対し、それも何かを考えようとしている人たちに対し
て、まとまった首尾一貫した(consistent)理性的な人生観を提供しようとし
ているのです。
P: Objectivism の基本的な前提はなんでしょう?それはなにから始まる
のでしょうか?
Rand:それは、「存在するものはある」(existense exists)という原理からは
じまります。これはつまり、客観的なリアリティというのは、受け手や、受け
手の感情、情緒、希望、恐れなどというものとは独立に存在するということ
です。Objectivism では、人間の理性(Reason)だけがリアリティを受けと
める手段であり、行動への指針となるものであるという捉え方をします。理
性(= Reason)という言葉で、私が意味していることは、人間の感覚に与え
られた、物質存在というものを認識し、統合する能力のことです。
P: Atlas shrugged の中であなたのヒーロー= John Galt はこう宣言してい
ます。「私は、自分の命にかけて誓う。私は他人の為には決して生きない。ま
た他人に私のために生きて欲しいとも頼まない。」この言葉はあなたの原理
にどのように関係してくるのでしょう?
Rand: Galt の言葉は、ドラマ化されたObjectivism 倫理の要約のようなも
のです。いかなる倫理システムも暗黙的であれ明示的であれ、それはメタ
フィジクスに基礎を置き、それから派生しているのです。Objectivism のメタ
フィジカルな基礎から派生する倫理というものは、理性が人間の基礎的な生
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存手段であることから、理性的であることをその高位の美徳として捉えるの
です。MIND を駆使すること、リアリティを知覚し、それにしたがって行動す
ることは、人間の道義的な使命ともいえるのです。Objectivist 倫理のスタン
ダードな価値とは、人間の人生とは人々の間をサバイバルすることであり、理
性的な存在であるその本性がそのサバイバルを要求するのです。Objectivist
の倫理のエッセンスとは、人間は自分自身の為に存在しているのだと把握す
ることです。また自己の幸福の追求は、もっとも道義的な手段であり、自分
自身を他人の為に犠牲にしてはならないということです。まして他人に自己
への献身、犠牲を強いるものではありません。Galt の言葉が要約しているの
はこういうことです。
P:あなたは、あなたの大義のために進んで身を捧げようとしますか?また、
あなたの追随者たちもそうするでしょうか?また非犠牲的なObjectivist に
とって、死ぬに値するほどの大義というのはあるでしょうか?
Rand:この問いに対する答えは私の本の中にはっきりとかかれています。
「Atlas shrugged」の中で私は人間は自分の価値に生きなければならないこと、
また必要があればその価値のために戦わなければならないということを説明
しています。
なぜなら生きるというプロセスの全ては、価値の達成というものからなっ
ているからです。人間は自動的に機械的に生きているわけではありません。
人間は理性的な人間として生きます。野蛮人としていきることは出来ません。
どんなに単純な価値たとえば食べ物でも、それは人間によって作られなけれ
ばならないのです。人間によって植えられ作られなければなりません。同じ
事が、より興味深く、より重要なことに対してもいえます。全ての価値は人
間によって、獲得され保持されるのです。そしてその諸価値が脅かされると
したら、必要とあれば、それに抵抗して自分が理性的な存在として生きる権
利の為に闘い、死ぬ覚悟が必要です。あなたは、私にこう尋ねましたね。「あ
なたはObjectivism の為に死ねるか?」と。私はできるだろうと答えます。し
かしより重要なことは、私はそのために生きるだろうといことです。そして、
このことはより困難なことなのです。
P:あなたの初期の作品である「Anthem」で、主人公はこう宣言していま
す。「選択することは私の意思である。私の意思による選択は、私の尊重する
唯一の命令である。」 これはアナキズムではないでしょうか?人間の欲求や
意志というのが人間の尊重すべき唯一の法律ということですか?
Rand:ある人の個人的な意思だけが尊重されるのではありません。これは、
多かれ少なかれ、Anthem という物語の全体のコンテキスト中ではっきりとさ
れる詩的な表現です。ある個人の私的な理性的判断というもの。ご存知のよう
に私は普通に使われる意味とは全く違う意味で、自由意志という言葉を用い
ています。自由意志というのは、人間の考える能力、もしくは考えないという
能力からなっています。考えるという行為は人間の最初の選択行為なのです。
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理性的な人間は欲望や気まぐれで動くことはけっしてありません。理性的な
判断によってのみ行動するのです。これは人間が判断できる唯一の権威です。
これはアナーキーを意味しません。なぜならもし人が自由な文明化された社会
の中で生きたいと思うのであれば、理性が彼に法律を守ることを選択させるだ
ろうからです。尤も、その法が客観的で理性的かつ妥当なものである場合は、
ということです。私はこのことについて、「The  Objectivist  Newsletter」
に政府の必要性と政府の正しい役割(proper function of government)とい
う題で寄稿したことがあります。
P:あなたの見解では、政府の正しい役割というのはなんなのでしょうか?
Rand:基本的には、たった一つの正しい役割しかありません。それは個人の
権利を守ることです。人間の権利というのは、たんなる肉体への暴力(Physical
 Force)やそれから派生するもろもろの暴力によって、簡単に破壊されてし
まうのです。政府の正しい役割は、人々をそのような暴力を行使しようとす
る犯罪者から、守ることです。自由な社会においては、権力というのは、報
復手段としてのみ、そのような犯罪者に対して用いられます。これが、政府
の正当(proper)な仕事です。つまり、警察官として人々を暴力から守ると
いう役割です。
P:もし、権力(= Force)が、暴力(= Force)に対する報復にのみ用いら
れるのであれば、政府は、税金を徴収するのに権力(Force)を用いる権利
(right)を持っているのですか?たとえば、徴兵制度であるとか?
Rand:基本的には、私は税金というのは自発的なものであるべきだと思い
ます。他のすべてとこれも同様です。しかし、このことをいかに実行するか
は実に難問ですね。私にはひとつの方法を提案できますが、といってもこれ
を決定的な解決手段だとおしつけるつもりもありません。たとえば、政府運
営の賭博ですが、これはヨーロッパでは多くの国で行われていますが、これ
などは一つにいい形での自発的な課税といえるでしょうね。他の手段もいろ
いろあるでしょう。課税というのは、正当な政府サービスに対する、自発的
な寄付金のようなものでなければなりません。人々が必要とするものを提供
することに対する、人々の自発的な支払いである必要があります。人々が保
険に対して対価を支払うようなものです。しかし、税金は遠い将来、真に自
由な社会を達成した時には問題となるでしょう。税金を弁護するための改正
案としてはこれが、最後のものです。これ以上はありません。徴兵制に関し
ては、適切でなく違憲なものです。それは、根源的な権利(= Fundamental
 rights)つまり、個人の生命権への侵害です。
だれも、自分の大儀のために他人を死なせたり、戦わせたりする権利など
持っていません。国(= country)は、人々に自発的でない苦役を強いる権利
は全く持っていません。軍隊というのは、厳格に自発的なものでなくてはな
りません。そして、軍の専門家が言うように、志願兵からなる軍隊こそがベ
ストな軍隊なのです。
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P:他の公共的なニーズにたいしてはどうでしょうか?たとえば郵便事業な
どは、正当な政府の役割と思いますか?
Rand:では、ストレートに申しますが、私の立場は完全に一貫性のあるも
のなのです。郵便局に限らず、道路や街路、とくに学校などは、すべて私的
に(Privately)に所有され運営されるべきものです。私は、国家(State)と
経済の分離を主張しています。政府(government)は権力の行使(Use  of
 force)が必要とされるような局面にのみかかわるべきです。つまり、政府
は警察、軍(Armed Service)や法廷において、人々の諍いを解決するといっ
たことだけに、拘わるべきであり、その他のことには一切拘わるべきではあ
りません。これら以外のことは全て私的に運営されたほうがよく、また、そ
の方がはるかにより良い運営がされることでしょう。
P:あなたは、新たな政府部門や政府法人のようなものを作ろうとしていま
すか?
Rand:いいえ。私はそういった議論は一切しません。私は、政府の計画立
案者ではありませんし、まして自分の時間をユートピアを作る構想で無駄に
しようとは思いません。私は、原理について話しているので、その原理から
導かれる派生的なものははっきりとしています。私が、暴力に反対している
といったとして、他になにを議論する必要がありましょうか?
P:それでは、外交政策についてお聞かせください。あなたは、どのような
自由国家でも、第2 次世界大戦期のナチドイツのような国に対しては、攻撃
する権利を持っていると仰っていましたね。
Rand:そのとおりです。
P: そして、さらに全ての自由国家は今日では、ソビエトロシアや、キュー
バや、その他の収容所国家に対して攻撃(invade)する道義的な権利(The
moral rights)を持っている。尤もこの権利は義務ではありませんが、という
ことですね。
Rand:そのとおりです。独裁制(dictatorship)を布いているような政府は、
その国の人々の権利を踏みにじっているのであり、アウトローであって、そ
れら政府は何の権利も主張できません。
P:あなたは、積極的(actively)にUSA がキューバやソビエト連邦に侵攻
すべきだと思いますか?
Rand: 現在のところでは、そうは思いません。それは必要ないと思います。
ソビエト連邦はなによりも経済封鎖を恐れています。私はキューバの封鎖と、
ソビエトロシアの経済封鎖を主張します。そうすれば、アメリカ人の一人た
りとも血を流さずに、それらの体制は崩壊するでしょう。
P:あなたは、アメリカの国連(United  Nations)からの脱退を歓迎しま
すか?
Rand:はい。このようなグロテスクなみせかけの組織、伝え聞くところによ
ると世界平和と人権のためにあるというような組織、それもソビエトロシア
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のような歴史上最悪の侵略国家にして最悪の虐殺国家がその一員である組織
を認めることはできません。このソビエトロシアと共に人間の権利を守るな
どという考えは、権利という概念への侮辱であり、このような組織を認める
かと人に聞くこと自体がその人の知性にたいする侮辱です。私は人々が犯罪
者といっしょに協力すべきだとは、全く思いませんし、まさに同じ理由によっ
て、自由国家がこのような独裁国家と協同すべきではないと信じています。
P:あなたは、ロシアと外交を断絶すべきだとお考えですか?
Rand:はい。
P:あなたは、反共産主義者であり、反社会主義者であり、アンチリベラル
だと宣言されています。また、保守主義者(conservative)だと言われるこ
とも拒否しておられます。実際、あなたは怒りのこもった批判文を保守に対
して寄せていますが、あなたは、政治的にはどのような立場なのでしょうか?
Rand: 少し、訂正をさせてください。私は自分の立場をそのような否定的
な表現で主張したことはありません。私は、自由放任(Laissez-faire)の資本
主義の主唱者であり、個人の権利の主唱者であり、個人の自由(Individual
freedom)の主唱者であって、このようなことを主張している人は他には全く
いません。私はこの見地にたって、個人を集産主義への犠牲を強いるいかな
る教義、つまり共産主義、社会主義、福祉国家、ファシズム、ナチズム、最
近のリベラリズムのようなものに対して対抗しているのです。私は、この同
じ見地から保守派に反対しています。保守派は、混合経済と福祉国家の主唱
者です。かれらとリベラル派との違いは単に程度の問題にすぎず、原理原則
的(discipline)には違いがありません。
P:あなたは、アメリカは知的な破産に陥っていると指摘しています。あなた
は、このような糾弾においてナショナルレビュー誌のような右派の雑誌のこと
も含んでいるのでしょうか?このような雑誌は、あなたが体制主義(statism)
とよぶものに対する強力な声となってはいませんか?
Rand:私は、ナショナルレビュー誌をアメリカでも最悪で、最も危険な雑
誌だと思います。その雑誌が主張しているような類の資本主義に対する批判
のようなものは、間違いなく資本主義(Capitalism)に対する不信と破壊と
いう結論に陥るでしょう。あなたは、この理由を知りたいですか?
P:はい。是非。
Rand:なぜなら、それは資本主義を宗教と結びつけるものだからです。ナ
ショナルレビュー誌のようなイデオロギー上の立場は、実質上、次のような
ことを言っているに等しいのです。つまり、自由と資本主義を受け入れるた
めには、人間は神やなんらかの宗教、なんらかの超自然的な神秘主義を信じ
なければならない。ということは、資本主義に抗弁するうえでの理性的な根
拠というのはなにもないということになります。これは、理性が資本主義の
一つの敵であるということを認めるに等しいことです。同時に奴隷制社会や
独裁国家が理性的なシステムであると認めるに等しいのです。そして神秘的
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な信仰に基づいてのみ、人は自由を信じることができるということを認める
に等しいわけです。
これほど、資本主義の価値を損なう根拠の無い主張はないでしょう。そし
て、真実はまさにその対極にあります。資本主義は理性によって抗弁でき、ま
た理性によって評価が可能な唯一のシステムであるのです。
P:あなたの認める政治的集団というのは、今のUSA にありますか?
Rand:そのような政治的集団はありません。今日のアメリカにそのような、
ちゃんとした一貫性のある主張をしているものがあるでしょうか?はなはだ
しい矛盾をもった主張ばかりです。
P:あなた自身は、個人的な政治的な野心というのはありませんか?今まで、
政治家になろうと思ったことはありませんか?
Rand:それは、はっきりとありません。そんなことを私に期待するほどあ
なたが私のことを嫌っていないということを信じたいですね。
P:しかし、あなたは政治に関心がおありになる。または、すくなくとも政
治理論に関心をお持ちですよね。
Rand:このように答えておきます。私がソビエトロシアからここアメリカに
来た時、私はたった一つの理由で政治に関心を持っていました。つまり、私が
政治などに関心を持つ必要がない日がくるようにするためにという理由です。
私は、自分が自分自身の関心や目標を追求できる自由な社会を確保したいと
思ったのです。政府(government)が干渉してそれを台無しにしてしまわな
いという社会。私の人生、私の仕事、私の未来が国家(state)の慈悲に左右
されるものでもなく、まして独裁者の気まぐれにも左右されない社会を確保
したかったのです。これは今でも変わらない私の立場です。今日では、この
ような社会というのは理想であり、まだ達成されたものではありません。ま
た他人にそのような社会を私の為に達成してくれと期待することも出来ませ
ん。また私は、他の全ての責任ある市民と同様に、これを達成するために自
分で出来る限りのことをしなければなりません。言い換えれば、私が政治に
関心があるというのは、単に自由(Freedom)を確保(secure)し、守るため
なのです。
P:あなたは、作品を通じて、現代社会の運営のされ方では、資本主義の国に
おいてさえも、個人を埋没させ、独創的な才能や企業家精神(initiative)を
窒息させてしまうと言っておられます。「Atlas Shrugged」で、John Galt は
人々のmind のストライキ(strike)を指導します。そして、これが、自分の
周りの集産主義社会(collectivist society)の崩壊という結果をもたらします。
あなたは、今日の芸術家や知識人、創造的なビジネスマンが、このようにし
て、その才能を社会から引き上げる時がきていると思われますか?Rand: い
いえ。まだその時期はきていないと思います。しかし、このことを説明する
前に、あなたの質問の一部分を訂正しておかなくてはなりません。我々が今
日持っている社会とは資本主義社会(capitalist society)ではなく、混合経済
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(mixed economy)の社会です。これは、自由(freedom)と規制(controls)
の混合(mixture)なのです。そして、これは今の大きなトレンドとしては、
独裁制(dictatorship)に向かって動いています。「Atlas  Shrugged」の中
での行動は、社会が独裁制の段階に到達した時点で起きるものです。もし、
独裁制が起こたときは、ストライキを行うときでしょうが、そのときまでは
する必要がありません。
P:あなたは独裁制(dictatorship)という言葉でなにを意味しているのです
か?それをどのように定義づけされますか?
Rand:独裁制とは、個人の権利を認めない国(country)であり、その政府
(government)が、完全で究極の権利を人々に対して持っている国です。
P:あなたの定義によると、混合経済と独裁制をわける線はどこになりま
すか?
Rand:独裁制には、4つの性質があります。1党支配、政治的な葛藤もな
く権力が執行されること、個人財産の押収、または国有化、それと検閲制度
です。特に、この最後の項目=検閲は、人々が自由に話したり書いたりでき
る限りは、検閲はないのであって、人々には社会を改良(reform)し、より
ましな道へ導いていくチャンスが残されています。検閲制度が科せられた際
は、人々が知的なストライキを打つ時です。つまり私が言いたいことは、そ
のような社会システムにはいかなることがあろうと協力してはならないとい
うことです。
P:このようなストライキが無い場合、あなたが望ましいとみなすような社
会的な変化をもたらすにはなにをなすべきと考えますか?
Rand:社会のトレンドを決めるのは観念(idea)です。社会システムを作る
のも破壊するのも観念なのです。ですから、正しい観念、正しい哲学、が唱道
され広まる必要があります。現代の世界の大失敗、-資本主義の破壊を含み
ますが、これは、利他主義的な集産主義哲学によって、引き起こされたもの
なのです。人々が拒否しなければならないものは、この利他主義(altruism)
なのです。
P:では、あなたは利他主義をどのように定義しますか?
Rand:それは、人間には自分自身のために存在する権利はないとする倫理的
なシステム(moral system)です。それは、他者への奉仕が自分の存在を唯
一正当化するというものです。また倫理的な自己犠牲(moral sacrifice)が、
もっとも高い倫理的な義務であり価値であり美徳だとするものです。これが、
集産主義や全ての独裁制の倫理的な基礎となるものです。自由(freedom)と
資本主義を追求するためには、人は神秘主義的であってはならず、利他主義的
であってはならず、倫理における理性的な規約(rational code of ethics)を
持つ必要があります。この倫理(morality)には、人間は犠牲的な動物ではな
く、人間は自分自身のために生きる権利を持っているということと、自己の他
者への犠牲も他者の自己への犠牲もしないという意味があります。言い換え
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れば、今日の社会において、決定的に必要とされているものは、Objectivism
の倫理(ethics)なのです。
P: では、あなたが仰っていることは、これらの変化をもたらすためには、
基本的には教育的な方法、または、宣伝活動が必要だということですね。
Rand:はい。もちろんそのとおりです。
P:あなたの反対者が、あなたのObjectivism の倫理的、政治的な原理があ
なたをアメリカの思想のメインストリームから排除するだろうということを
どう思いますか?
Rand:私は、そのような思想のメインストリームというものを知りません
し、認めません。そのようなものは、独裁制においてふさわしい言葉です。
集産主義社会においては、思想はコントロールされ、スローガンというメイ
ンストリームがありますが、それは思想といえるものではありません。アメ
リカにはそのようなものは存在しませんし、今まで一度たりともあったこと
がありません。私はイノベーターなのです。これは他と区別するための言葉
であり、名誉ある言葉であって、隠し立てしたり弁解したりするようなもの
ではありません。なにか新しいもの、または価値のあるアイデアを提供でき
る人はだれでも、知的な世界(intellectual status quo)の外に立つことがで
きるのです。これ(intellectual status quo) は流れ(streem)ではありません
し、ましてメインストリームというものではありません。それは淀んだ湿地
帯です。人類を前進させるのがイノベーターの役割です。 
P:あなたは、哲学としてのObjectivism は、次第に世界中に広まっていく
とお考えですか?
Rand:そのような質問にはだれも答えることができません。人間は自由な
意志をもっています。人々が理性的であろうことを選択するという保証はど
こにもありません。どのような時代でもどのような世代でもです。また、哲
学にとって世界を席巻する(sweep the world)ということは重要なことでは
ありません。もしあなたがその質問を少し違った表現で尋ねるとしたら、つ
まり「あなたは、Objectivism は未来の哲学となるか?」と質問するのであれ
ば、私は、そうだと答えましょう。しかしこの保証には前提があります。つ
まり、人々が理性に立ち還るのであれば、また理性が独裁制によって、破壊
されていなければ、またもう一つの暗黒時代に沈み込んでいなければ、また
充分な考える時間があるほどに自由でありつづけたならばという前提があり
ます。そうであればObjectivism は彼らが受け入れることのできる哲学とな
るでしょう。
P:なぜでしょうか?
Rand:人々が自由であった、どのような歴史的な時点でも、常にもっとも理
性的な哲学が勝利を収めてきたのです。私が、Objectivism が勝利するだろ
うと、いうのはこのような見地からです。しかし、このことになにも保証は
ありません。それに関して予定説的なことを言う必要はありません。
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P:あなたは、あなたの捉える今日の社会に対して、するどく批判的です。
またあなたの著書は、単に社会の形を変えるというだけでない、人々の仕事、
考えること、愛することに対するラジカルな提言が含まれています。あなた
は、人間の未来にたいして楽観的なのでしょうか?
Rand:はい。私は楽観的です。集産主義は、知的な権力として、また倫理的
な理想としては既に死んでいます。しかし、自由と個人主義、またその政治
的な表現形である、資本主義(Capitalism)というものはまだ見出されては
いません。私は、人々はそれを発見する時がくるだろうと考えます。死に絶
えつつある集産主義の哲学が今日もたらしているのは、堕落、無気力、絶望
のカルト以外のなにものでもありません。近代の芸術や文学をみると、そこ
にあるのは救いようの無い人間という姿と、失敗と不満、破壊に運命付けら
れた魂の無い生き物です。これは集産主義の心理学的な告白なのかもしれま
せん。しかしそれは人間の本当の姿ではありません。もしそうであるならば、
人間は洞穴からでてきはしなかったでしょう。しかし人間はそこから出てき
たのです。自分の周りを見れば、そして歴史を紐解いてみれば、人類のmind
の達成を見ることができます。人類の偉大なもの(greatness)への無尽蔵の
可能性と、それを可能にする能力に気づくはずです。人間は本来、救いよう
の無い怪物ではないことがわかります。しかし、人がその能力と精神を捨て
去ったとき怪物になるのです。もし、あなたがこの偉大なもの(greatness)
とはなにかと聞くとすれば、私はこう答えましょう。それは、John Galt の
3つの根源的な価値、reason,purpose,self-esteem によって生きるという力量
(capacity)であると。