新緑 春は桜をのみ愛すべきかは

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新緑が好きだ
柳の若芽もいい風情だ

しかし人間で言えば、
次の世代ということだろう

人間は樹ではなく
葉のような気がする
黄葉して土に還る

「葉っぱのフレディ」を思い出す

樹にあたるものが人間では、一族ということで、
情報伝達の発達段階により、
あるいは、その中でも主に教育により、
樹として束ねられるのだろう。
一体感とか結束とか、そんなもの。
国語の統一により、日本国は結束しているように思えていて、
NHKはその象徴のように思われるのだろう。
次のステップとして、
日本は東洋に属するのか、
欧米に属するのか、
選択肢があると思う。
現状ではむしろ西洋に一体化したいのだろうし、
社会の発展段階としても、西洋タイプだろうが、
地理的に、また人種DNAとしては、東洋タイプで、
引き裂かれている。

また、仔細に見れば、日本国内でも、かなり異なった言語活動をしてるのであって、
書き言葉を教育で半ば強制することはできているのだが、
話し言葉はテレビで常時東京言葉が流れているにもかかわらず、
方言は根強い。

方言を話す人たちが、自分たちの発音している言葉を
正確に文字に置き換えることをしないのは、
不思議なほどで、
これが国家の強制力というものだろう。
税金を払うのと同じようなもので、
本来的に考えれば、
まったく当たり前ではないのだが、
人間の常の状態としては、すでに当たり前である。

たとえば、東北弁や京都弁や大阪弁をひらかなで正確に書き留めることは難しい。
そのことを不自由だと思わないのが不思議だ。
京言葉を正確に写し取る新しい表記方法があってもいいはずだと思う。