深尾憲二郎-4

[09: 精神科医に求められているもの]
 


■僕自身がどういう問題意識で研究をやっているのかというとね、なかなか理科系の人、文科系的な感覚を持ってない人に説明するのは難しいんですけど…。

○え、それって普通逆じゃないんですか?

■え、そう? 普通の科学的な話題っていうのはそうかもしれないけれど、なんかねえ、人間の精神機能に関する研究というのは…。精神病を生物学的、薬理学的に説明している人たちの考え方って、あまりに粗っぽいというかね…。

○うん、それは思います。それに精神病を治すにしても、家庭環境まで含めて治すとか、そういうことをしないといけないわけですよね。そうしないとお話にもならないというか。例えばドーパミンのレセプターが増えたっていうんだったら、なぜ増えたのかっていうことがあるわけですよね。そういうことも含めてまるごと治療しましょ、というのが今の真面目な精神科医の人が考えていることだと思うんですけどね。
 その一方で、生物学的アプローチで治そうという人は、還元してしまえば薬理的なバランスが崩れているっていうんだったら、クスリを外から入れてバランスを治してやれば良いじゃないかと。その後でそれ以外のことは考えてやればいいじゃないかと考えているんじゃないかと。

■うんうん。精神病に限らないんだけど、機械的な説明をする人は病気というのは「失調」だと考えているんですよね。機械の失調だと。でも、そうネガティブにだけ捉える必要はないんじゃないかなと思うんですよね。精神病というのは人間の脳ミソがここまで発達したことに伴う副産物なんだろうけど、その副産物を故障としてだけ見ることはないんじゃないかと。もちろん故障なんだけどね、ある意味では。
 もし、機械の故障という見方をしてしまうんだったら、精神病理学というのはほとんど意味がないと思うんですよ、逆に。

○と、おっしゃいますと?

■つまり、生物学的精神医学というのはいろんな道具を使って外から調べるものでしょ。具体的に言えば、外に出る物理的な変化や行動を調べるわけですね。それに対して精神病理学というのは本人の内面に入っていって、本人が何を感じているか調べるわけですよね。もし機械的な脳の故障が精神病のすべてだとすると、内面に入ったりすることは全然意味がないことになってしまう。

○内面というのは心の感情とか、主観のことですよね。

■まあ、そういったもろもろのことです。今でも普通の人は、「精神科医」と言ったら精神分析屋みたいなものを想像するでしょう? カウンセラーとかね。本人、自分が苦しんでいることを、分かってくれる人を精神科医に期待しているわけでしょう。

○ええ、そうでしょうね。

■で、そういう方向とね、いまの精神医学が追求している方向とはまったく相反するわけです。反しても良いじゃないか、というのももちろん一つの立場ですよ。でも僕はそうは思えない。精神科医の中でも生物学的精神医学が大嫌いな人は臨床心理に向かうわけですよ。で、内面を分かり合う魂の世界とかにいっちゃうわけです。それもまた極端すぎるんですよね。魂の世界にいっちゃう人は、今度は精神病をね、恣意的に解釈するようになるんですよ。

○恣意的?

■うん、この人がこういう妄想を持っているのは、こういう養育歴を持っているからじゃないかとかね。

○河合隼雄さんの箱庭療法みたいな世界のことですか?

■うーん、そうですねぇ。もちろん臨床心理というのは職人芸的な世界だから、治すのがうまい人はいるんでしょう。そのことは否定しないし、そういう人がいないと困りますからね。

○一方で、明らかに機械の故障としておかしくなっている人もいるわけですよね。そういう人には当然、投薬が必要ですよね。そこらへんについてのお考えが、いま一つよく分からないんですが。

■うん、僕が言いたいのは、精神医学を医療技術として考えると、生物学的精神医学でいいんじゃないかな、ということです。でも一般の人は、おそらく精神科医には内面を分かってほしいと思っているんじゃないですか。そうすると精神医学は世間のニーズと解離してしまっている、ということになる。

○アメリカみたいに精神科医とカウンセラーがいっぱいいればいいんでしょうか?アメリカではどうなっているんでしょう?

■アメリカではね、精神科医自身が精神分析をやっているんですよ。といっても実際に精神分析やっている人には医者じゃない人も多いんですよ。でも、精神科医になるためには精神分析の訓練も受けることになっているんですよ。ところが日本ではそうはならなかった。

○日本では精神分析というのはまったくメジャーじゃないわけですよね。最近のTVとかにはやたら精神分析が出てくるので誤解されているところも多いようですが。

■僕らの考えではね、精神科医の第一の仕事というのは「この人は精神病か精神病じゃないのか」ということを見分けることですよ。そして精神病だったら薬を使うんですよ。場合によっては電気ショックを使うかもしれないけど。精神病でなければ、願わくばカウンセリングの方に行っていただくと。ただ、あてになるカウンセラーが実際にいるかどうかが問題ですよね。

○じゃあ、本来、カウンセリングもできるくらいのことが今の精神科医には求められているわけですか。

■そうですね。ただ、時間の制約もありますからね。できないですよね。それとね、実は今の医療制度の枠内でも精神分析でお金が取れるわけですよ。でも本格的にやろうと思う人から見たら、全然制度が整っていません。だからやってもいない人がやったかのようにしてお金を取っているような状態で、非常によくないんですよ。つまり、内容がないのに、あるかのように見せかけている人が大勢いるわけです。

○うーん。

■医者だから、基礎の研究者と違って、社会のニーズに応えないといけないという立場から言ってますけどね。社会のニーズと、精神医学が向かっている生物学的な方向が全然合わないんだということです。
 でも本当の僕の本心は違うんですよ。僕の本当の興味は、むしろ基礎研究者的なところにあるんです。

○ええ、以前はそうおっしゃっていたのに、と思いながら伺ってました(笑)。

■その辺は僕自身はたしかに中途半端なんですよ。
 ただね、てんかんの患者さんで精神状態が不安定な人って多いんですよね。そういう人も「自分を理解して欲しい」って言うんですよ。

○そりゃそうでしょう。

■うん、言うんです。で、精神科って名乗ってる限りは、そう期待されるわけです。ところが、その期待に応えない医者が多いんですよ。

[10:精神医学は文理が入り交じった領域 ]
 


■で、僕自身は、そういう人間の内面の問題、主観的な問題と、脳の問題、客観的な問題を対応づけるということに興味が向いているから、どっちもやらなければならないと。自分で。というのも、今まであてになるようなものがあまりないんですよ。

○え?

■あてになるものがないんです。みんなどっちかしかやってないから。海馬・扁桃体をそれぞれ記憶と、情動、好き嫌いの場として見るのはすごく綺麗な話で魅力的なんだけど、それだけで納得してしまっては貧しいというかなあ…。

○それ以上のモノがあるのではないかということでしょうか?

■それ以上のもの。うーん、そうだなあ。
 最近、理科系で脳に興味を持ってる人と話していると、「あなた自身がそんなつまらないものだと思っているのかね?」っていう疑問が湧いて来るんですよ。

○ああ、なるほど。でもそこ、神秘なきところに、「神秘なき神秘を感じる」ってところもあるんじゃないんですか?

■うん、理科系はそうでしょう。パシッと、なんか真っ白になっちゃうところが良いんでしょう。

○例えば肝臓の悪い人がいて、その人にカンゾウヨクナールというクスリを与えるとその人は健康になれます、と。で、その流れで、脳の調子の悪い人がいて、その人はノウミソヨクナールというクスリを飲むと良くなる、それですべてオッケー、何の問題もないと思う人が、まあ理科系文科系で人を分けると理科系の人なんだろうと思うんですよね。
 そこで、そうやったときに、それでいいんだろうかとか、どこからどこまでがその人の本質なんだろうかということを考えると、ちょうど文理が入り交じったところの人たちになるんじゃないかと思うんですけど。

■うん、そうですね。僕が思うには、精神医学は本質的に文理が入り交じった領域なんですよ。

[11: 精神病に薬が効くとはどういう意味か]
 


○普通の人って、精神病って心の病だと思ってますよね。それが一部にせよクスリで治るんだということは、ある意味すごく衝撃的なことだと思うんですよね。

■うん、そうでしょうね。でも実を言うと僕らもね、本当に治ったのかといつも疑ってますよ。あのね、Bio-psycho-socialというつまらん言葉があるんですよ。直訳して「生物心理社会的」要因とかいうんですけどね。精神疾患というのはその3つの次元にまたがっているんだとか言って、それがモデルだというんだけど、そんなのモデルのうちに入るのかな、と思いますね。次元の違うものを3つ並べてもね。

○モデルっていう言葉の意味から外れてますよね。

■そう思うでしょ。でも言うんですよね、モデルだと。そこらへんが精神医学の胡散臭いところなんだけど。
 多くの精神疾患に対して僕らはマイナートランキライザー(ベンゾジアゼピン類)というのを投与するわけですよね。それでその病気が治っているのかというと、僕は治ってないと思うんですよね。それは本人のね、脳の回路とどう対応しているのかも分かってないという意味もあるけどね。

○効くからいいや、ということなんですか。

■うん、効くというのもね、最終的な苦しみのところにだけ効いているわけですよ。普通の人がマイナートランキライザーを飲んだら、眠くなって、脱抑制になって酔っぱらったみたいになったり、スケベになったりするわけですよ。それを、キリキリして自分で自分を苦しめているような人に投与したら、一時的にはその苦しみは収まるわけ。でもそれは決して病気が根本的に治ったということにはならないと思う。本人の性格が変わるわけでもないしね。
 ただ、人間は眠れなくなるとますます悪い状態に落ち込んでゆくものだから、薬の力で眠っていただくことは、良い状態に戻ってゆくためのきっかけを作ることにはたしかになるんですよ。だから臨床的には十分役に立っているんです。

[12: 薬物時代の、患者と医者の関係]
 


○今でもクスリを日常的に飲んでいる人は大勢いますよね。僕はそのうち、向精神薬を普通に飲む時代も来るんじゃないかと思うんです。逆にそういう時代になったとき、もしてんかんの特効薬みたいなものがあって、それを飲めば普通に暮らせるんだったら、いまは患者さんとして扱われている人たちも、ごく普通に社会にも受け入れられるんじゃないかなと思うんですけど。

■うん。実際、昔と比べれば薬のおかげで人前で発作が出ることがなくて、てんかんを持っていることを周りに知られずに生活している患者さんも多いんですよ。でもそういう人でも内面的には、いつばれるか分からないという不安をずっと持っているんだけれどね。本当の意味の特効薬は、そういう不安を完全に解消するものでなくてはならないわけですね。だから、あなたの言うようにすべての精神疾患に対する特効薬が揃った時代について想像してみると、どっちかっていうと『現代思想』的になるけども、内面、っていうか考える主体がなくなっていくのかね、将来。いまの技術社会っていうのが進んでいくと、内省がなくなって、ただ「訴え」だけがある。その訴えだけに対して医者、あるいはその代理をする機械が薬とかを処方して治していく。そういう風になるのかもしれない。それで何が悪いんやろ、っていう気もするしね。

○…。

■今までのところはそうじゃないけどね。たとえば拒食症の様な病気はね、社会の変化に伴って現れてきた病気に間違いないんですよね。めちゃくちゃ増えたんですよね、この十年か二十年で。最初はとても珍しい病気だったんですよ。それがまず先進国で出てきて、あっという間にバーッと世界中に広がった。
 感染症じゃないんだから病気が物理的に侵入してきたわけじゃない。社会の方が変わったから出てきたんでしょ。みんな日本語を使い続けているのに、どうしてそんな外国にしかなかった病気が出てきたのか。日本の社会が変わって、それに相関して日本人の心、日本人の脳が変わったということでしょう。まあ、それがBio-psycho-socialという意味なんでしょうけどね。
 社会が変わるに従って病気も変わっていくわけだけど、どうも現在の日本を含めた先進国の趨勢では、薬物依存の人が増えていく傾向にあるみたいですよね。それは何なのかといえば、自分の欲求を何でもお手軽に処理したいとう傾向だと思うんですね。科学技術の進歩もそういう一般人のニーズに合わせていくでしょう。
 だからこのままいくと、だんだん悩む主体っていうのがなくなっていって、ただ「痛い」とか「苦しい」とかいった訴えだけがある、それに、医者なり機械なりが訴えを処理していく。そんな時代になるのかなあ。

○そこまで『現代思想』的には考えてなかったんですけどね(笑)。

■でも理科系の考えるユートピアってそんなもんかなあと思うんですよね(笑)。

○ユートピアかどうかは分からないですけど、普通の人でも酒飲んだり、カフェインを摂ったりするのを見ていると、現代はもうある意味で、向精神薬摂取時代に突入しているから、副作用がなくって、飲んだらムシャクシャが収まるクスリとかがあったら、飲む時代が来るんだろうな、と。

■考えてみたら、酒というもの、つまりアルコール摂取の習慣がどの文化にも古くからあるっていうのも不思議な話ですよね。

○肉食った時と野菜食った時でも精神状態って違いますよね。そういうことと同じ延長線上にあるんじゃないかな、と。それでいいのかもしれないな。脳を機械だと思っているからそういう発想になるのかもしれませんが。

[13: てんかんの精神科医]
 


○でも先生はそれ以上のものがあるんじゃないかとお考えなんですよね?

■うん、だから思想的な方から見るとね、僕はポストモダンの人たちに言わせれば、自我とかそういうものに拘っているんだ、お前は拘りすぎ、ってことになるんですよ。自我を捨てなさい、とね。逆に僕から見ると、ポストモダン思想は文科系の理科系に対する全面降伏という風にも見えるんだけどね。

○ふだん、MEGを使って電流双極子を見ている人の言葉とも思えないんですけど(笑)。

■いや、MEGの話をしろって言われたらするけどもね。でも僕にとってはあんまり面白くないというか(笑)。
 さっき患者のニーズという話をしましたが、てんかんを専門にする精神科医というのはね、どちらかというと患者のニーズに応えるのが難しい精神科医なんですよ。

○は?

■というのは、精神科の病気の中で一番最初に生物学化されたのがてんかんですからね。そうすると、精神科医でありながら、患者さんの内面の苦しみとかあんまり聞かずに、いやはっきり言えばあんまり聞くのが好きじゃなくて、脳波を見たり、外から見える発作が起きているのを止めよう、っていうのが楽しいという人が多いんです。その楽しさというのは内科医や外科医と同じ質のものですよね。患者さんの訴えがあって、それを治す、と。精神科医に独特の内面的な仕事ではない。精神科医の仕事というのはもっと曖昧模糊としたものです。
 だからてんかんをやっている精神科医っていうのは、精神科医の中では精神科医らしくない人が多い。人間より機械が好きとかね、そういう人が多いんです。

○先生はどうなんでしょう。

■てんかんをやっている割には、割り切ってないところが僕にはあるんです。MEGをやっている範囲では割り切っているんだけど、それはある意味仕事というか、業績づくりとしてやらざるを得ないからやっているようなところがありますね。

[14: 抗てんかん薬の副作用、狙って薬が作りにくい理由]
 


○てんかんにはいろいろな薬がありますね。その話をお聞かせ頂けますか。