失言癖について

麻生さんは総理になってからたいした失言もなくここまで来ている
どうして失言癖が治ったのか知りたいくらいだ

失言にも二つあり、
麻生さんや太田さんのように、その場で受けようとしたり、
分かりやすいたとえ話をしようとしたりして、
失敗する場合。
レトリックがまずかったと言うこと。

もう一つは思想ものものがマスコミの餌食になるケースで、
宮崎の何とかという大臣の場合。

麻生さんくらいの大金持ちになると
別に日教組がどうでも共産党がどうでも何も関係はない

だからもののたとえが問題で
レトリックの習慣はつまりは日常生活でどんな人たちとつきあっているのかということだ
とっさの時の反射的な一言には
やはり日常生活で話したり聞いたりする言い方が出てきてしまう

アルツハイマーでも分かるという言い方は
おそらく推定すると
本人は最初はぼけ老人でも分かると言いかけて
ぼけ老人はいけないと思ってアルツハイマーと言い換えたのではないかと思う
その程度には配慮ができる人で
総理になってからは注意集中を一段と高めているらしく
失言癖封じ込めには成功している

失言と受け取られるときは
講演会か記者への答えかどちらかで
講演会ではサービスのつもりで、気の利いたことを言おうとする。
記者の前では、いらいらしていたりすると、記者の頭の悪さが見えてしまい、
言わなくてもいいことを言って、あとで仕返しを受ける。
人間は根に持つものだから、記者なんかに関わっていないのが正解なのだ。
しかしまつわりつかれるとついつい言ってしまうものだ。
不思議なことにそんなときは相手の言っていることの穴が見えてしまうし、
そこを突っ込んでしまう。
相手は恥をかくことになり、多分20年くらい恨みを忘れない。

ぼーっとして、バカのふりをして、
いつもお世話になっております、さすがです、と言って、
相手を持ち上げておけば、間違いはない。

しかしそれができないのが失言癖人間というものである。
言わなきゃいいのに
一言多い。
いっそのこと的外れなことをいっている方が罪がない。
一言少ないのも困るが多いよりはまだましだ。