そして、その真空をつくるのも、恩寵である。

恩寵は、恩寵を迎え入れる真空のあるところにしか、入ってゆけない。
そして、その真空をつくるのも、恩寵である。
(シモーヌ・ベイユ)

人間の想念はガラクタである。
こころはゴミ箱に等しい。
千年後に、残っているのは、
やはり現在の形の聖書だろうと思う。

想念を捨て、こころを空にする。
そこには風が通るだけだ。
そしてときに、イエス・キリストが、小さく存在する。
また消える。

そしていつでもイエスが出現できるように、
こころを空にしておく。

それがこころの浄化だ。

しかしそのこころの浄化もまた、
ただ神の恩寵によるのだと、
ベイユはあくまでも鋭い。
垂直に切り裂く。

ただ見捨てられた子供のように
恩寵を待ち望む。